Ashley Montagu

平野千果子『人種主義の歴史』*1から。
早くも1930年代に「人種」の実在性を否定したアシュレー・モンタギュ*2の論について。


モンタギュは一九三〇年代からナチの人種論を科学的に打ち砕こうと、すでに健筆をふるっていた。一九四二年、最新の三年間の論考を集めて一書にしたのが『人間の最も危険な神話――人種という謬論』である。モンタギュは一九九九年に九四歳で没するが、最後までこの書に手を加え続けた。同書の基本的主張は、人間の集団に明確な線引きをするのは不可能であり、最新の科学に照らせば、人類学者が行ってきた分類は完全に誤った無意味なものだということである。要するに、人種の概念は無効だということに帰着する。(p.7)

モンタギュが名を残すのは、第二次世界大戦後の一九五〇年に専門家集団を代表して「人種に関するユネスコ声明」を起草したことによる。ユネスコが『人間の最も危険な神話』の著者モンタギュを招いて一九四九年に国際シンポジウムを開催し、その成果を一つの声明として公表したものである。刊行当初はさして反響を呼ばなかったモンタギュの書が、第二次世界大戦におけるナチのホロコーストを経て一気に注目を浴びるようになったのは、皮肉といえようか。
一五項目からなるこの声明では、まず冒頭で、生物的差異は副次的なもので、人類は一つであることが明記される。そのため人種とは、生物学的には何らかの指標による特徴をもつ人びとの集団を示す言葉といえるものの、人間相互の違いが根本的な相違なのだと誤解されていることから、国籍、宗教、地理、言語あるいは文化の面で異なる集団を「人種」と一般に捉えられていることが問題として指摘される。続けて、多くの場合は肌の色だけで分けられる集団も、静態的なものではなくダイナミックに変動し固定的でないこと、集団による知的・精神的差異はないこと、「混血」は退化につながらないことなどが記される。そして生物的現象が社会的神話として機能している状況が指摘され、「人種」とは神話なのだという点が最後に強調されている(ユネスコ『人種問題に関する四つの声明』)。
こうした主張には人類学や生物学の専門家から、近代科学の理論というよりは、哲学的あるいはイデオロギー的議論だとの批判もあった。そこでユネスコは形質人類学者や生物学者、なかでも遺伝学者を中心に二つ目のシンポジウムを開催し、一九五一年にもう一つの声明を出すにいたった。
しかしそれは第一の声明と大きくは変わらないものだった。その第二の声明では、人類学の分類においては人種という言葉を使うことで含意したとしつつも、他方で人間はみな他と混淆した(mixed)存在で純粋な人種などは存在しないのに、人種という概念が誤って使われていると認めている。そして生物学的に異なる集団をさすのにふさわしい新たな言葉を探したものの、成功しなかったとする。結果としては見た目の相違や言語、文化といった社会的・文化的要因から、人種概念が作り上げられていると認める内容となっているのである。(pp.7-9)

実はモンタギュは、人種という概念を放棄し、「民族グループ(ethnic group)」という言葉に置き換えることを提案している。確かに「黒人」なり「白人」なりと総称される人びとは決して一枚岩の存在ではない。現実には彼らの間にもさまざまな差異があるのである。今日ではそうした角度からの探求も深められている。肌の色での分類に過度に注目される現実からすれば、これは一案とも考えられる。
とはい周囲を見回してみれば、人種主義的行為として目につくものは、みな民族を区分として起きているだろうか。そもそも「民族」なるものの境界は、果たして自明なのだろうか。「混血」と称される人びとはどう位置づけられるのか。「人種」を「民族」に置き換えることで、むしろみえなくなる側面はないのだろうか。今日では新たな問いも」浮かぶだろう。ユネスコの第二の声明でも、人種に代わる言葉はみつからなかったと認めている。(pp.9-10)
モンタギュの本では、現代教養文庫から出ていた『人類の百万年』しか読んだことはなかったのだった(汗)。現代教養文庫も、それを出していた社会思想社という出版社も既に消滅している。