自虐と排外

http://d.hatena.ne.jp/inumash/20070124/p1で、「右傾化」の背景として、


多分、僕らが本当に恐れているのは、「国際的な地位を失うこと」でも「どこかの国に攻められること」でも「どこかの国に占領されること」でもない。何か大きな苦難に直面したとき、それに同情してくれる、それを助けてくれる同胞が存在しないこと。それが、僕らの不安の源泉ではないのか。

右傾化を推し進める人たちの言う「愛国心」や「美しい国」、あるいは「品格」という言葉。歴史の再認識などによるナショナリズムの勃興。そして嫌韓や嫌中など「日本を攻撃する人」への過剰反応。

これらは全て、虚勢であると同時に、「孤独」を背景にした「僕を忘れないで!!」という悲痛な叫びに見えてしまう。本当に美しい「日本的感性」の持ち主なら、わざわざ自分のことを「美しい」だの「品格」だのといった言葉を使って他者にアピールしたりはしないはずだ。

と述べられている。なるほどとは思う*1。但し、実証的な証拠が欲しいとも思う。また、日本に限らず、〈排外主義〉的な言動の背後に、「孤独」感を嗅ぎ取ってしまうということはある。韓国にしても中国にしても、或いは米国にしても。さらにいえば、外だけが問題なのではない。そういう人たちにとっては外だけでなく内も問題なのだろう*2。「溶けゆく」って、日本人は雪だるまだったのか、それとも蝋燭だったのか。))。それが外に由来するのかどうかはわからない*3。ともかく、内/外の区別をパラノイアックに遂行しようとするとき、却って(リアリティとしては)内/外の区別が曖昧になってしまうというのはたしかなようだ。そもそも全体主義というのは(一見その名に反して)わざわざ全体性の欠如(外部)をつくりだしていく傾向があるようだ。以前にも言及したが、スターリン主義のテロルが最も過酷になったのは、蘇聯からトロツキーブハーリンも消え失せて、〈反対派〉が消滅した後だった。また、ここで言われている「孤独」というのがアレントがいう意味でのloneliness、つまり世界から見捨てられて、「世界にまったく属していない」という経験であるとしたら、相当にやばいとはいえる*4。さらに、「自虐」の帰結ということでは、Arisanのhttp://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070120/p1とも関係するか。

*1:しかしながら、最後の「本当に美しい「日本的感性」の持ち主なら、わざわざ自分のことを「美しい」だの「品格」だのといった言葉を使って他者にアピールしたりはしないはずだ」というセンテンスについていえば、安倍さんにしても藤原さんにしても、「他者にアピール」しているのではなくて、後に言及するような〈外部〉(「他者」化)してしまったと思い込まれている〈内部〉(身内)に対して、或いは〈内部〉(身内)に対して、その〈外部〉(「他者」化)を阻止しようという願望を籠めて「アピール」しているわけでしょ。本当に「他者にアピール」したいなら、英語や中国語で出版しろよ。

*2:Cf. eg. http://d.hatena.ne.jp/sean97/20070111 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070112/1168571361#c1168594785 また、これに関連して、「溶けゆく日本人」と題する『産経新聞』の記事(http://www.sankei.co.jp/seikatsu/seikatsu/070112/skt070112000.htm)。

*3:但し、その原因を外部に帰属させようとする可能性があることは理解できる。

*4:「孤独」についてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061226/1167151875でも言及した。