「最低限の荷物」など

海の仙人 (新潮文庫)

海の仙人 (新潮文庫)

絲山秋子『海の仙人』新潮文庫版の「解説」で、福田和也が引用している*1部分をやはり引用してみる。「河野」と「片桐」と「澤田」と「ファンタジー」が新潟駅前の居酒屋で飲んでいる場面。関西弁が「河野」、九州弁が「澤田」、「俺様」という一人称が「ファンタジー」;


[新潟]駅前の大衆飲み屋「越後亭」が澤田推奨の店だった。老夫婦でやっている薄暗い店で、コの字型のカウンターの奥ではじいさんが魚をさばき、ばあさんが揚物の様子を見ながらキャベツを刻んでいた。レジの横には寒梅の一升瓶が並んでいた。中年の客が多かった。魚は何があると聞くとばあさんは魚を食べるなら冬に来なければとさかんに強調しつつ、きすの天麩羅やのどぐろの塩焼きを勧めた。
「のどぐろ?」
片桐が聞き返した。出て来たのは深海魚だがグロテスクなものではなく、きんめ鯛に少し似ていて、ほどよく脂がのっていた。
「いいな、こういう味は」
「おふくろの味やろう」
「俺様におふくろはいない」
「悪いこと言ったかな」
「いいも悪いもない。それが事実だ」
「ファンタジーも孤独なんだね」片桐が言った。*2
「誰もが孤独なのだ」
すると、澤田が言った。
「だけんね、結婚していようが、子供がいようが、孫がいようが、孤独はずっと付きまとう。ばってん何かの集団、会社にしても宗教にしても政党にしてもNGOにしても属しとったら、安易な帰属感はえられるっちゃろうね」
「いや」
片桐が言った。
「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか? 外との関係じゃなくて自分のあり方だよ。背負っていかなくちゃいけない最低限の荷物だよ。例えばあたしだ。あたしは一人だ、それに気がついてるだけでマシだ」
「マシって何よりマシなのだ?」
ファンタジーが場違いな葉巻をくゆらせながら聞いた。
「いや、わかんないやあ。思いつきだもん」
(…)(pp.95-97)
片桐の台詞を踏まえて、福田氏は

孤独は「心の輪郭」であり、「最低限の荷物」だとするところに、絲山氏の真骨頂が現れています。孤独から逃げ出すために他者と連なるのではなく、自らの孤独を引き受けた者だけが、他者を尊重できる、と。
他者に甘えない、凭れかかることがない個人は、いかにして祝福されるのか、というもっとも本質的なテーマを、かくも読みやすく、鮮やかなストーリーで作り出してしまった作者の才能は、どれほど称えても足りないほどだ。(p.169)
ここで、ポール・オースターを喚起しておきたい。ラリー・マキャフリーとシンダ・グレゴリーのインタヴューに答えて、

孤独(solitude)は単なる事実であり、人間である条件のひとつだ。我々は他者に囲まれていても、本質的には一人で自分の生を生きている。真の人生は我々の内部で起きる。(『空腹の技法』*3、p.435)
と発言するオースターを。ほかに『海の仙人』をオースターと結びつけるの、それは「雷」である。登場人物の「河野」は「小学校の時、雷に当たった」(p.29)。さらに、最後の方で再度雷に打たれて、視覚を失ってしまう(pp.155-157)。ポール・オースターは少年時代に雷に遭遇し、一緒にいた友だちが目の前で瞬時に感電死してしまうという経験を持っている(『空腹の技法』、pp.412-414)。「ある意味で、人生に対する姿勢全体が、ニューヨーク州北部のあの森で形作られたんだ」(p.414)。
空腹の技法 (新潮文庫)

空腹の技法 (新潮文庫)

この小説はずっと「河野」の視点で語られている。しかし、後半部の第13章で突然「片桐」の視点に変わる(p.145ff.)。第15章では再び「河野」の視点に戻り(p.154ff.)、「片桐」が「河野」を訪ねてきたところで小説は終わる;

河野は再びチェロを、パット・メセニーの「レター・フロム・ホーム」を滑らかに弾き始めた。
高みでとんびが鳴いた。
気比の松原を抜けて来た車がブレーキを鳴らして停まる音がした。ドアが開き、歩き出したのはパンプスの音だった。
「カッツォ! 来たよー。カッツォ!」
女は叫びながら浜に降りた。砂に歩き慣れない靴のかかとをとられながら、不規則な歩調で海の方へ歩いて来る。その足音も声も確かに聞こえたはずの河野は、チェロを弾き続ける。
やや、風が出てきた。
初冬の空には雲が低く垂れこめ、海は鈍い色を空に映していた。西の方に雷雲を含んだその空は盲目の河野が肉眼で最後に見た光景と同じものだった。(pp.162-163)
最後になって、この小説の真の語り手は「片桐」であり、「河野」の視点のように見えたのは、「河野」によって「片桐」に語られ、「片桐」が引き受けた語りだったということに気づく。
「イッツ・オンリー・トーク」で鳴り響いていたのはキング・クリムゾンだったが*4、『海辺の仙人』ではのっけからシド・バレット*5が流れ(p.7)、最後の場面ではパット・メセニーが響き渡る。しかし、この小説で最も重要な音楽はといえば、「恋はあせらず(You Can't Hurry Love)」(多分、シュープリームスのオリジナルではなくて、フィル・コリンズによるカヴァー)だろう。
イッツ・オンリー・トーク (文春文庫)

イッツ・オンリー・トーク (文春文庫)