言葉のゆれとか

文化庁国語に関する世論調査」についての記事3つ;


「お」の付けすぎ 使い分け、性差歴然  文化庁調査
2006年07月26日22時14分

 お菓子、お酒、お米は多数派で、おくつした、おビール、おかばんは少数派――。付けすぎがよく指摘される「お」は、言葉によって使い分けられており、性差も大きいことが、文化庁が26日に発表した05年度「国語に関する世論調査」でわかった。あなたは「お」を付けすぎてはいませんか。


 この調査は国語政策の参考にするため、95年度から実施している。今回は敬語に関する意識を中心に、2〜3月に16歳以上の2107人に面接して調べた。

 「お」は尊敬語・謙譲語・丁寧語に続く第四の敬語とされる「美化語」の一つで、物言いを丁寧で上品にする働きがある。調査では、日常生活でよく使われる15の言葉の頭に「お」を付けるかどうか尋ねた。

 付ける人の方が多かったのは菓子などのほか皿・弁当・茶わんの6語。逆に付ける人が少なかったのは、くつしたなどのほかソース・紅茶・手紙・薬・天気の8語。酢はほぼ同じ割合だった。

 どの言葉でも、付けるのは女性が男性より多かった。中でも弁当は女性の76.4%が「お弁当」なのに、男性は24.1%にとどまった。

 敬語については73.9%の人が「使っている」と答え、年代別では社会に出たばかりの20歳代が86.2%と最多。最少は60歳代以上の63.6%だった。「敬語が難しい」と感じている人は全体の67.6%にのぼり、具体的には「相手や場面に応じた使い方」を挙げた人が78.4%、「手紙などを書くときの使い方」が38.3%と多かった。

 文化審議会国語分科会は敬語に関する具体的な指針作りに取り組んでおり、来年2月までに答申する予定だ。文化庁国語課は「『お』の付けすぎは昭和20年代から指摘する声があるが、付け方にルールはなく、性差や個人差が大きい。この調査結果を含めて、指針作りに反映させたい」と話している。
http://www.asahi.com/life/update/0726/006.html

「お」を付けるかどうかというのは〈文脈〉によるところが多いように思える。
ところで、「付け方にルールはなく、性差や個人差が大きい」という言葉遣い、変じゃない?

怒り心頭に「達する」? 「発する」?
2006年07月26日22時22分

 文化庁の「国語に関する世論調査」は、慣用句や、言葉の意味が重複している言い方についても調べた。

 二つの慣用句を挙げてどちらを使うかを4例尋ねたら、本来とは異なる言い方を選んだ人が多かったのは2例。「怒り心頭に発する」は14.0%なのに「怒り心頭に達する」は74.2%と多く、「あいきょうを振りまく」の43.9%に対して「あいそ(う)を振りまく」は48.3%だった。

 意味が重複する言い方では、「あとで後悔した」「一番最後」「従来から」の3例とも、「気にならない」が「気になる」を上回った。また、「元日の朝」を意味する「元旦」を「元旦の夜」と使ったり、「白羽の矢が立つ」を「白羽の矢が当たる」としたりするのも、3〜4割の人が「気にならない」だった。
http://www.asahi.com/life/update/0726/007.html

また、

目上に「ご苦労さま」15%=「お疲れさま」を侵食−文化庁の国語世論調査

 仕事後、目上の人に「ご苦労さまでした」と言葉を掛ける人の割合が15%に達し、主流を占める「お疲れさまでした」を侵食していることが26日、文化庁の「国語に関する世論調査」で分かった。同庁は「慰労の言葉は、本来は目上の人から掛けるもの」と説明する一方、厳密な使い方は必ずしも定まっていないとしている。
 調査は2−3月、全国の16歳以上の男女計3652人に実施、57.7%の有効回答を得た。
 それによると、一緒に働いた人が自分より職階が上の人の場合、「お疲れさまでした」と言う割合は回答者の69.2%。「ありがとうございました」も11.0%いた。その一方、「ご苦労さまでした」と言う人が15.1%おり、「どうも」が0.9%、「何も言わない」も0.6%いた。 
時事通信) - 7月26日18時0分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060726-00000080-jij-pol

このニュースのカテゴリーが「政治ニュース」だという方が??であるが。
言葉ということで驚いたのは、http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2006/07/723_e069.htmlのコメント欄の

無産者って「何も持たない」っていう意味なんですね。不勉強でした。でも私が最初に持った印象は「何も生『産』しない」、労働力として生産性がなくて価値がないから切り捨てられる、っていう意味なのかと思いました。労働する機会を奪われているのに、働く気力がない・実力がないから「生産性無し」とみなすレッテルとして用いられる言葉なのかな、と。
若い人たちのゼマンティークでは、これって自然なの?