空白の時代

京都や奈良が観光地たりえるのは、私たちが歴史教育や古典教育によって日本歴史の知識を持っていて、歴史的名所としての価値を知っているからだろう。日本国内だけでなく、伊太利や仏蘭西、そして中国が日本人にとって観光地たりえているのにも、日本の世界史教育が多少なりとも貢献しているといってよい。ただ、私たちの知識には歴史的偏りがある。かつて伊太利を旅行する前に、宮下規久朗『ヴェネツィア*1とかを読んだが、近世とか近代初頭(『ヴェニスに死す』*2以前)は知識の空白だった。
さて、鎌倉についても、私たちは既に鎌倉を知っている。だから、鎌倉は東京近郊の古都として観光地たりえているのだ。日本史には鎌倉時代という時代があって、その時代には鎌倉に幕府が置かれ、日本は京都と鎌倉という政治権力の二元的構造を形作っていた。鎌倉時代が終っても、室町幕府は坂東(関東)支配のために鎌倉府を置き、権力の中心としての鎌倉は続いた。それは15世紀中盤の享徳の乱によって崩壊する。江戸時代、東国における政治権力の座、経済的中心は新規に開発された江戸だった。近代に入ると、東京と(軍事拠点である)横須賀を結ぶために作られた横須賀線の沿線となり、上流階級の別荘が開発され、昭和に入ると文人たちが移住する。私たちが知っている鎌倉はこれ以降のものだろう。私にとって、その間の江戸時代(正確には室町時代後半からの)の鎌倉というのは空白の時代なのだった。これは個人的な無知だけではないだろう。例えば観光ガイド本『おとな旅 プレミアム 鎌倉』は当然鎌倉の歴史の解説や歴史年表を含むが、それは1333鎌倉幕府滅亡で終っていて、鎌倉府や鎌倉公方関東管領は無視されている。中学や高校の教科書にも、江戸時代の鎌倉の記述があるのは聞いたことがない*3