朱熹と朱子

木下鉄矢朱子 〈はたらき〉と〈つとめ〉の哲学』から。


そもそも「朱子」の「子」は「老子」「孔子」などの「子」と同じく男子に対する尊称である。「先生」や「尊師」と訳すことが出来る。そしてそこに込められた敬意は、その人物が残した勝れた「教え」、その「教え」を伝える勝れた言葉に私淑する後生の軽仰の念に発する。したがって「朱子」とは、「老子」や「孫子」などと同じく、元来、彼に由来する勝れた言語テキストの総体を背負う呼称として後生たちの口端に上って来たのである。
このような敬仰の念の中で、「朱子」は「孔子」や「老子」と同じく、後生たちの思考の規範、判断の基準、行動の基線となって一時代を作り上げたのだった。
(略)「朱子学」とは、「朱子」を敬仰するそれらの後生たちが「朱子」の遺したテキストを基底に思考し判断し行動した営みを指す語である。すなわち「朱子」を敬仰する後生たちの営んだ「学」のことであって、南宋という時代を生きた「朱熹(姓は朱、諱は熹)」*1なる人物その人が営んだ「学」のことではない。朱熹その人は実は朱子学者ではない。(pp.1-2)

(前略)「朱子」はかつて卓越した言葉として読まれ、解釈され、それぞれの時代に「古典」として時代のただ中で機能していた言語テキスト。人の口端に上る「朱子学」とはすなわち「朱子」を基礎テキストとしてその上に築かれた「学」のことである。一方「朱熹」は南宋時代、現在の福建省北部を中心に生死した一人の人物。実は「朱子」という語は両方の意味をあいまいに併せ持ち、相互に互いを想起させる意味の混合状態にある。(後略)(p.3)