石井好博

柴田智弘、近藤歌音「石井好博さん死去」『毎日新聞』(千葉版)2023年11月29日


曰く、


習志野高校のエースとして1967年夏の甲子園で県勢初の優勝を果たし、75年には監督として同校を同大会優勝に導いた石井好博さんが26日、病気のため亡くなった。74歳だった。(略)
成田署などによると、石井さんは26日、少年野球大会が開かれていた成田市のナスパスタジアムで倒れ、同市の病院に搬送されたが、死亡が確認された。
石井さんは千倉町(現南房総市)出身。習志野高、早稲田大に進学。卒業後、72年に母校・習志野高の監督となってチームを鍛え、元ヤクルト監督の小川淳司さんらを擁した75年に同校2度目の夏制覇を果たした。

習志野高と早大で先輩だった元中日の谷沢健一さん(76)*1は「今年の2月に沖縄で会った時は『また監督に復帰したい』と話していた。もう一度、あの監督姿を見たかったな」と残念がる。
高校時代の石井さんが全国制覇した夏の大会の直前、OBとして練習に参加した谷沢さんに打ち込まれ、直球一辺倒から変化球を織り交ぜるようになったという。
しかし、高校での連投で肩を壊し、早大では活躍できなかった。谷沢さんによると、当時の監督が学生コーチに任命。指導者への道が開けたという。
1967年の甲子園というのは憶えていない。ただ、優勝パレードを見に行ったという記憶はある。