高木守道

中日スポーツ』の記事;


ミスタードラゴンズ高木守道さん死去(78歳) バックトスは永遠に

2020年1月18日 紙面から


 さらば「ミスタードラゴンズ」-。現役時代は中日の名二塁手として活躍し「ミスタードラゴンズ」と称された中日元監督の高木守道さんが17日午前4時、急性心不全のため名古屋市内で死去した。78歳だった。なお、葬儀・告別式は家族葬で営まれる。

 突然の訃報だった。関係者によると、高木さんが亡くなったのは同日未明。前日から風邪気味で名古屋市内の自宅で寝ていた高木さんは、午前2時前後に「体が痛い」と夫人に訴えて体をさすってもらっていた。その後、午前2時半ごろに夫人が部屋を離れ、戻ってきたときに息を引き取っていたという。病院に救急搬送されたが、死亡が確認された。

 2013年限りで中日の監督を退任していた高木さんは、ここまで大きな持病もなく元気に過ごしていたという。年末年始は子どもや孫ら家族と過ごし、年明けにも趣味のゴルフの予定を入れるなど、健康に過ごしていた。

 今月12日には名古屋市CBCラジオ「板東サンデー」に出演。パーソナリティーで親友の板東英二さん(79)とともに現役時代の思い出話を披露。同番組では来月15日に名古屋市内でイベントが予定されていることも告知していた。

 現役時代は名二塁手で君臨し、監督時代も強いインパクトを残した。1次政権の1994年には、今や語り草となった「10・8決戦」で長嶋巨人と激突。さらに12年からの2次政権ではチームスローガンを「ジョイナス」と掲げ、積極的にファンサービスに努めた。その一方で、当時の流行語にひっかけ自ら「暴走老人」と呼び首脳陣との意見が衝突したことも。いずれにせよ、日本球界最高の二塁手は、多くの野球ファンの記憶に残るのは間違いない。
https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/202001/CK2020011802000102.html

憶えている1970年代初頭のドラゴンズの中心といえば、この高木とキャッチャーの木俣達彦*1、そして新人の谷沢健一(レフト)*2という感じだった。投手では星野仙一もまだ新人だった。
ミスタードラゴンズ」だけれど、選手としても監督としてもドラゴンズ一筋だったということでは、「ミスター」と呼ばれて然るべきだったんだなと思う。
上に引用したのは準機関紙だが、もっと距離感を持った高木評としては、古寺多見氏のエントリーを参照されたい;


高木守道死去」https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2020/01/20/075620