1001 dead

拙blogのちょっと長い休みの間に、元中日ドラゴンズ監督の星野仙一*1が他界していた。
朝日新聞』の記事;


星野仙一さんが死去 プロ野球中日・阪神楽天で監督
2018年1月6日09時33分


 プロ野球の中日、阪神楽天の元監督で、楽天球団副会長の星野仙一(ほしの・せんいち)さんが4日、死去した。70歳だった。葬儀は近親者らによる密葬で執り行い、後日、お別れの会が開かれる予定。

 楽天によると、星野さんは2016年7月に膵臓(すいぞう)がんが判明。その後も仕事を続け、昨年、野球殿堂入りを果たした。昨年11、12月に東京と大阪であった、殿堂入りを祝うパーティーには姿を見せていたが、年末になって病状が悪化したという。

 星野さんは岡山県出身。倉敷商高を卒業後、明大へ。1969年、中日にドラフト1位で入団した。投手として82年までの14年間で、通算146勝121敗34セーブ、防御率3・60の成績を残した。73年からは5年連続で2けた勝利を挙げるなど活躍し、74年には沢村賞を受賞した。

 87年から91年、96年から2001年までの2回、中日の監督を務め、1度ずつリーグ優勝を果たした。02年からは阪神の監督を2季務め、03年にチームを18年ぶりのリーグ優勝に導いた。08年の北京五輪では、アジア地区予選から日本代表監督を務めたが、メダルを獲得できず、翌年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の監督は、次期候補と有力視されながら辞退した。

 11年から楽天を率いた。13年には創設9年目の球団を初の日本一に導き、自身としても監督通算16年目で初の頂点に。三原脩西本幸雄と並び、3球団でリーグ優勝を成し遂げた監督となった。計17年で通算1181勝。戦後生まれでは初の1000勝監督になった。15年からは楽天球団の副会長を務め、新人選手の獲得などに尽力した。
https://www.asahi.com/articles/AS99Y0DM099XUTQP03K.html

まあ、最近では、「星野」というと、リゾート会社だったり星野源だったりするわけだけど。ところで、改めて軽く吃驚したのは、星野氏が谷沢健一さん*2と1年しか違わないということ。谷沢さんが早稲田を経てドラゴンズに入団したのは1970年のことだった。もうちょっと上だろうと思っていたのだった。星野さんを語るには、所謂鉄拳制裁だとか乱闘に対する積極的な姿勢だとかを避けて通ることはできない。自分の子どもを殴れないようでは選手を殴れないとも言っていた。勿論、そうしたことは21世紀においては許容されないということは言うまでもない。星野さんを公に語る人は、そこら辺のことをどのように誤魔化したりするのだろうか。その気苦労は同情に値する。
上に引用した朝日の記事のオリジナルには、2016年と2017年の星野さんの写真が添えられているのだが、顔が痩せこけ、もうその頃には既に死がすぐ近くまで近寄っていたんだなと納得することができる。
See also


星野仙一死去」http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20180106/1515202076