「先祖返り」?

Via https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2023/06/30/083019

醍醐聰氏曰く、


深草徹「ウクライナ侵略戦争によって露呈されたわが国左派・リベラルの平和運動の限界」http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-entry-1335.html


曰く、


これまでの左派・リベラルの平和運動は、反戦・平和の主観的願望がからまわりし、個別国家が武力を持たないでもよい国際社会をどのように構築するかという視点、展望を語らずじまいだったように思います。そのもっとも典型的な表れは、ウクライナ侵略戦争に関して、とにかく戦争はよくない、即時停戦するべきだという主張です。これでは、仮に停戦にこぎつけたとしても、上記の国際法準則は蹂躙されたままであり、侵略と民間人の無差別殺戮が不問に付されたも同然です。こんな主張をしていては武力を持たないという非軍事平和主義は支持されないでしょう。
これは慧眼だと思うけれど、深草氏の歴史認識はちょっと共有が難しいと思う。
「戦後、わが国の左派・リベラルの平和運動は、憲法9条の非軍事平和主義とアメリカを戦争と反動の根源をアメリカとするアメリカ帝国主義論を車の両輪として展開されてきたと思います」。何故反「アメリカ帝国主義論」だったか。それは何よりも、戦後の「平和運動」(反戦運動)が直接対峙していた(今でも対峙している)のが米軍基地であることによる。また、日本(日本政府や日本人)による侵略への加担が問われたヴェトナム反戦運動の場合も、米国による戦争だった。
違和感を感じたのは以下のパッセージだ。

(前略)私は、第二次世界大戦後の冷戦の歴史を多少は勉強してみましたが、それによると、政治的対立の激化を背景として、当初アメリカはソ連の政治的封じ込めを図ろうとしました。それは異なる体制の平和共存と必ずしも矛盾するものではありませんでした。やがて世界で最初に核兵器を手にしており圧倒的軍事力優位に立っていたアメリカは、ソ連の軍事的封じ込め、共産主義体制の打倒へと転換し、各国の革命運動に干渉し、共産主義へと向かう、もしくは容共的な政権の転覆活動を企てました。ですからアメリカ帝国主義論には根拠があり、現実的でもありました。

 しかし、核武装したソ連の圧倒的軍事力をバックにしたハンガリーチェコなど域内諸国への侵略、域外のアフガニスタンへの侵略、中国の核武装と軍事大国化・ベトナムへの武力侵攻、中ソ戦争などを経て、次第にソ連・中国も戦争と反動をもたらす元凶の一つあることが浮かび上がり、とりわけ1991年のソ連崩壊後は、もはやアメリカ帝国主義論は平和運動の拠り所とはなしえなくなりました。かわって浮上したのが武力行使禁止原則、主権と領土の一体性、現状不変更、国連中心主義を定める国際法準則です。私たちはベトナム戦争では、アメリカ帝国主義の侵略を糾弾しましたが、イラクアフガニスタンへの侵略では、アメリカ帝国主義糾弾ではなく、国際法違反と非人道行為を糾弾しましたが、それはそのことを物語っていると思います。

先ず、米国(米帝)が「共産主義体制の打倒」を本格的に考えたことことがあったのかどうかはわからない。それは地域を分けて考えなければならないだろう。普通理解されている「冷戦」というのはヨーロッパの某所に〈鉄のカーテン〉を設置し、それを境界を挟んで、東西が棲み分けをするというものだろう。蘇聯の(ユーゴスラヴィアよりも東の)東欧支配を認める代わりに、(それより西である)希臘の社会主義化を断念するということで、チャーチルスターリンが手打ちをしたとか。まあ、この冷戦=平和共存体制の確立によって、ヨーロッパ及び北米は安定したけれど、問題はそれ以外のラテン・アメリカ、亜細亜、中東といった、後に〈第三世界〉と呼ばれることになる地域で、東西の争奪戦の舞台となり、ヴェトナム戦争もそうだけど、第二次大戦後における主戦場となってしまった。確かに、〈第三世界〉において米国(米帝)は「各国の革命運動に干渉し、共産主義へと向かう、もしくは容共的な政権の転覆活動を企て」たこともあったけれど、第三世界は「共産主義体制」ではない。キューバなどを除けば、「打倒」されるべき「共産主義体制」はまだ存在しなかった。寧ろ、米国(米帝)の挙動は放っておくと〈ドミノ〉みたいに次々と「共産主義体制」になってしまうじゃないかというパニック反応の現れであった。
さて、戦後の日本において、大衆的な「平和運動」というのは、前述したような各地の反米軍基地運動、ヴェトナム反戦運動原水爆禁止運動(反核運動)だけだった。世界には無数の深刻な紛争や戦争が存在しているわけだけど、その多くは多くの日本人にとって〈遠い国の戦争〉であり、万単位のデモが行われるといった大衆的な運動にはならなかった。なお、「原水爆禁止運動」は当初から単純な「アメリカ帝国主義論」には還元できなかった。1960年代に、社会主義国核兵器を肯定する日本共産党によって原水禁運動は分裂したが、(その後は社会党系と結びつくことになった)主流派はあらゆる核兵器に反対するという原則を堅持し続けた*1。また、上でも言及されている蘇聯のハンガリー侵略の余波として生まれたともいえる日本の新左翼反帝国主義であるとともに、最初から反スターリン主義であったわけだ*2
なお、中国と蘇聯の間では、国境線を巡る武力衝突は起ったものの、限定的であり、「中ソ戦争」と呼べるほどのことではなかった。
さて、

宮武嶺*3「ボグナー国連人権監視団団長「戦争犯罪だ。国際人権法の重大な違反」。ロシア軍は侵略開始してからウクライナで民間人864人を拘束し9割以上を拷問し77人を裁判なしで即決処刑。ロシア軍は即時撤退せよ。」https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/409f4bc21d0f3332bae26890946fdd2c


コメント欄が「檜原転石」なる人物*4陰謀理論による汚染を被ってしまっているのだけど、宮武氏の最後のパッセージは重要だ;


それは、国内法でも国際法でも、法規範が守られることによって将来の違法行為や人権侵害が防がれ、人命が守られる効果についてです。

 刑法学ではこれを法の「予防効果」とか「法益保護機能」といいます。

 例えば、殺人事件が起きた時に、その真犯人が法に基づいて逮捕され、起訴されて裁判にかけられ、適正な処罰が与えられるからこそ、一般市民は犯罪は割に合わないと感じてやはり法律を遵守しようと思いますし、それによって今後脅かされるかもしれなかった人々の命と権利が無限に守られているのです。

 第二次大戦までの長くつらい戦争の歴史の中で、やっと明文化された戦争の違法化の現時点での国際社会の到達点である国連憲章

 その国連憲章で禁止している侵略行為を公然と行ったのがプーチン大統領とロシア政府です。

 そして、ロシア軍は侵略のみならず、市民や重要インフラへの無差別攻撃、原発攻撃、子どもたちの強制連行、市民への拷問や強姦や大量殺人、4州強制併合などなど戦争犯罪国際法違反行為をこれでもかというくらいやっています。

 よく「正義」の実現より命の方が大事だという人がいますが、ロシアの侵略を許さず、ロシア政府とロシア軍の違法行為や戦争犯罪を適正に処罰することで、次の侵略戦争や次の戦争犯罪国際法違反が防がれ、幾多の人命と人権が守られるのです。

 だてに法というものがあるのではなく、国際法を順守していくことで守られる命があるのです。