原水爆禁止運動分裂資料(メモ)

以前、「れんだいこ」という人が作成した原水爆禁止運動に対する日本共産党原水爆禁止運動に対する介入のクロニクル*1に言及したことがあった*2。関連の資料をメモしておく。


加納実紀代、近藤悠子、斎藤鶴子、隅谷茂子「座談会 婦人運動の分裂をめぐって」(女たちの現在を問う会編『高度成長の時代・女たちは――銃後史ノート戦後篇6』インパクト出版会、1992、pp.119-137)
間島路子「あくまで一致点をもとめて」(『高度成長の時代・女たちは――銃後史ノート戦後篇6』、pp.138-141)
斎藤鶴子「第八回原水禁世界大会前後」(『高度成長の時代・女たちは――銃後史ノート戦後篇6』、pp.142-149


最初に挙げた「座談会」は「婦人運動」についての証言だが、内容のかなりの部分が原水爆禁止運動と共産党との関係に割かれている。間島路子氏のものは共産党の立場からの証言。また1964年の第10回原水爆禁止世界大会日本共産党が中国派を多数参加させるために行った陰謀に関しては、当時「日本平和委員会」「中央常任委員」だった吉川勇一氏が「第十回原水禁世界大会と今後の平和運動」(『経済評論』1964年12月臨時増刊)で暴露しており(p.125)、1990年代に入ってから出された著書『市民運動の宿題』でも言及している(p.124)。なおこの大会を巡って、吉川氏は「日本平和委員会」から「除名」され、共産党からも「除名」された(p.125)。
ところで、上田耕一郎マルクス主義平和運動』(大月書店、1965)が引用されている(p.134)。1960年代の旧左翼の核兵器観のサンプルという意味でメモしておく。曰く、「帝国主義社会主義に対する核戦争を準備しているかぎり、社会主義は自国の防衛と世界平和の防衛のためには、核兵器全面禁止のためにたたかいつづけながら、同時に核兵器の生産とそれを支える生産力の発展に努力しつづけなければならないというきびしい責務を引出すことができるだけである」。また


社会主義の核保有は絶対に他国への攻撃や侵略のための、まして核脅迫のための政治的手段ではなく。ただ社会主義を防衛し、帝国主義の核戦争放火計画を阻止するための労働者階級の立場に立った、人民的政治の手段である。そして万が一帝国主義社会主義国に対する侵略的核攻撃を行った場合、社会主義はその人民的政治の継続として、あらゆる手段によって帝国主義を壊滅させるために闘うであろう。それがどんなに犠牲が多く、苦難に満ちたものであっても、この厳しい決意なしに現在の平和を守り通すことはできない。
さて1960年代前半において、原水禁世界大会は広島ではなく東京で行われていたのだった。