「無輸血」という選択

菅沼舞「輸血拒否を語る 2 生駒市立病院長、遠藤清さん」『毎日新聞』2023年6月3日


教義において「輸血」を拒絶するイェホヴァの証人*1の信者の「無輸血手術」を引きうけてきた外科医の遠藤清氏へのインタヴュー。


エホバの証人の無輸血手術に初めて関わったのは30年ぐらい前です。50代の乳がんの女性でした。輸血拒否を主張したため、複数の病院で手術を断られたそうです。私が「いいですよ」と引き受けると、ほっとしていました。しかし、その患者は貧血が重く、血液検査で血中ヘモグロビンの値が通常の半分以下しかないことが分かりました。
当時、乳がんの手術はかなりの出血を伴いました。今は手術前にヘモグロビン量を上げる処置などがありますが、当時は一般的ではありませんでした。輸血できないのは危険です。しかし、「やる」と言ってしまった以上、仕方がありません。手術は無事終わり、輸血もしませんでした。
膵頭十二指腸切除という腹部外科の中でも難易度が高い手術の時は緊張しました。無輸血を希望する患者とは一つだけ約束します。出血がひどくなり、「これ以上出たら危ない」という状態になったら(手術を)やめますよ、と言います。
無輸血手術で重要なのは、余計な出血をさせないことです。血管さえ切らなければ血は出ない。そのために、血管を一本一本テーピングします。出血をコントロールして、「これで大丈夫」となったらいっぺんに(患部を)切っていきます。細かい処置ですが、確実に出血量は減ります。

最盛期には年間400件ぐらい手術をして、その半分ほどがエホバの証人の人たちだった時期もあります。無輸血手術をしてきたことで、技術が鍛えられました。私にちょっては、外科人生の「先生たち」だと思っています。
手術をしても効果が見込めない場合は「できない」と伝えた上で他の治療を提案することもあります。ただ、エホバの証人だから、輸血を拒否しているから、という理由で断ることはありません。
エホバの証人の患者は緊張して診察室に入ってきます。(不測の事態が起きても医師の責任を問わない)面積証明書などを準備し、症状や信仰について一生懸命説明します。そんな時、私は「(輸血)しないので、書類はいりませんよ」「気を使わないでいいですよ」と声をかけます。
私のところへ来るまで、患者はさんざん痛めつけられているからです。「輸血をしないなら手術しない」などと説明されてきたわけです。病気を抱えながら、信仰か生かの選択を迫られる。トラウマになっている人は多いと思います。

目の前の患者をどうにかしてあげようという思いよりも、医療者側のリスクを考えて「うちではみない」「あなたは手術しない」という医師がいるのではないでしょうか。求める医療を受けられず、さまよう人が少しでも減るようにしたいです。「先生がいなかったら、どうなっていたことか」とよく言われます。それだけ苦労してたどり着いているのだと思います。僕は「大丈夫だよ」と言ってあげるしかありません。医療は技術だけでなく、患者の心に寄り添うものだと思っています。