『スポーツ報知』の記事;
葬式が「セレモ勝田台駅ホール」でということはお住まいもこの近くということ? たしか「クール・ファイブ」の宮本さんも八千代市在住だった筈。
長田あつしさん死去「殿さまキングス」「オヨネーズ」で活躍スポーツ報知 8月7日(木)7時5分配信
4人組演歌グループ「殿さまキングス」*1のリーダーで、男女デュオ「オヨネーズ」としても活躍した長田あつし(ながた・あつし、本名・長田淳)さんが2日、心不全のため千葉県佐倉市内の病院で亡くなったことが6日、分かった。76歳だった。
2日夜、妻が自室でうつぶせに倒れている長田さんを見付けた。10年ほど前から脳梗塞、心臓疾患を患い、自宅で療養していた。最近は日常生活に不自由することはなかったそうで、妻は突然の別れに大きなショックを受けている。
「オヨネーズ」でコンビを組んだ杏(きょう)しのぶ(64)はこの日、遺体が安置されている千葉県内の施設を訪れ、長田さんと対面。スポーツ報知の取材に、「とても安らかなお顔をされていました。とても残念でショックですが、最後は苦しまなかったのかなと思うと少し安心しました」と気丈に話した。
殿さまキングスは長田さんが中心となり、1967年に結成(90年に解散)。73年発売の「なみだの操」などが大ヒットし、3年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。89年には「オヨネーズ」を結成。「♪俺と一緒に暮らすのは、およねおめえだと」と東北弁を歌詞に取り入れた「麦畑」が大ヒット。カラオケの定番ソングとなった。杏は「とても腰が低くて、物腰が柔らかい方。事務仕事も全部、ご自分でこなして礼儀正しい方だった」と別れを惜しんだ。
メンバーの宮路オサム(67)は仕事先で訃報に触れ、「長田さんとの出会いがなければ今の宮路オサムはいなかった」と話し、悲しみに暮れたという。
通夜は行わず、葬儀・告別式は10日午前11時から千葉県八千代市勝田台北3の2の2、セレモ勝田台駅ホールで。喪主は長男・知也(ともなり)氏。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140807-00000043-sph-ent
さて、最近「昭和歌謡」に言及したことがあったのだが*2、「昭和歌謡」について語るなら「演歌」について語ることは避けられない。後には「演歌」というジャンルに括られてしまう、(例えば)都はるみも1960年代にはただの「歌謡曲」だった*3。つまり、その頃は「演歌」という独立したジャンルはなかった。「演歌」が独立したジャンルと見なさせるようになったのは1970年代になってかららしいのだ。その独立したジャンルの初期を担ったのがこの殿さまキングスやぴんからトリオ(ぴんから兄弟)だったわけだ*4。殿さまキングスにしてもぴんからにしても、その歌詞やメロディや歌が、わざとらしいくらいに「演歌」っぽい、つまり〈ど演歌〉という言葉が相応しいということに気づく。「演歌」というのがその発端から半ばパロディのように構築されたということは興味深い*5。
ぴんからの宮史郎さんも一昨年に他界されていたのだった;
「「ぴんから兄弟」の宮史郎、死去」http://blog.livedoor.jp/aokichanyon444/archives/54268806.html
monet333「【訃報】ぴんからトリオ・宮史郎さん死去、楽曲で振り返る」http://matome.naver.jp/odai/2135333886151320001
*1:「殿様」ではない。See http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%BF%E3%81%95%E3%81%BE%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B9
*2:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140716/1405472652
*3:See 有田芳生『歌屋 都はるみ』
*4:あとは、例えば藤圭子だろうか。See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080702/1215017909 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130823/1377217865 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130825/1377399433 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130827/1377623249 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131031/1383230887
*5:殿キンもぴんからも音曲漫談(コミック・バンド)出身である。