「信頼」の問題など

中井久夫「トラウマについての断想」(in 『日時計の影』*1、pp.44-62)


PTSDを被った人たちについて。
「フラッシュバック」や「悪夢」がなくなっても残るもの。


(一)基本的信頼の欠如である。この基本的信頼は、大地は動かないものであり、通りすぎる人は何ごともなく通りすぎるのであり、列車は無事目的駅に到達するという信頼感である。天が落ちてくることを恐れることを杞憂というが、まさに杞憂が実現したのである。ある症例では、私との問答の時に何かもう一つのことを考えている風情があった。きいてみると答えはイエスで「明日は何が起こるかな」と考えているのであった。明日何が起こるかわからない――それはそのとおりで平和な日々が来る保証は何もない――そのとおりである。しかし、それなしには平和な心で生きられない重要な仮定が撤回されているということである。時間構造の第一の変化である。これも震災*2以来多かれ少なかれ続いている*3
(二)時間停止である。特に犯罪被害者においては時間は「その時」で止まっている。「忘れ去られる時が危険である」というラファエルの法則は時間停止が基礎になっている。「遅れまい」と急ぎ足で走っている観のある現代社会の中で停止していることは、遠足で靴の紐を結びなおしている間に隊列がみるみる遠ざかる心細さの比ではないが、似ている。いうをはばかることだが、患者の一部は改善後にマイルドなストーカー的時期を通過する。これは「よくなったからといって忘れられては困る」ということであろう。元主治医に向かうこともあるが、医師への紹介者に向かうこともある。
(三)この二つが治療者に与える影響である。共感は、治療者にも基本的信頼の動揺や時間の停滞をもたらす。これは治療者の職場のあり方だけでなく、人によって程度はまちまちだが、全生活に深い影響を及ぼす。私はこれを破壊的にならない程度にとどめようとすれば、距離をおいて見守る姿勢になってしまう。EMDR(眼球運動による脱感作および再処理法)のような一見十八世紀的な方法が生まれたのも、おそらくそのためであるが、 EMDR実施者への質問によると、四、五例でへとへとになるという。楽ではないのだ。(pp.58-59)
ところで、「夢」の内容というのは目覚めて直ぐに忘れてしまうのが健全なことなのか。「そもそも目覚めてもしばらくは記憶している夢は夢作用が消化しつくせなかった残りかすではないか」(p.53)。