新黒の話

中井久夫河合隼雄先生の対談集に寄せて」*1(in 『日時計の影』、pp.78-92)


シンクロニシティ*2を巡って。


シンクロニシティユング派にとっても非ユング派にとっても、ユング親近度を測るメーターであり、時には踏み絵の観がある。もっとも、実際にはこの世界で因果関係を証明できるのは非常に単純な場合である。いやほとんど証明できないといってよい。多くの力動精神医学の学説は因果関係を求めての模索の結果であるが、心理がかかわる世界では因果論は大いに誤る危険がある。たいていのものは仮説であるのに、物理法則に近づけてしまいかねない。
二つの事象の関係を「因果律」と「シンクロニシティ」とに二分する必要はないと私は思う。「シンクロニシティ」は因果的思考と真っ向から対立するものではない。。因果関係と断定する一歩の手前できびすを返し、関係づけをおのれに禁欲するというほうが当たっているのではないだろうか。ユング派の人と旅行すると「シンクロニシティ」がしばしば見つかる。指摘されるものは、私からみれば、要するに偶然の一致のミーニングフルな「気づき」である。偶然は宇宙線のようにわれわれの上に降り注いでいる。そして、その気づきがあるのは、気づく人にあらかじめ自由連想の流れがあり、きらきらした眼差しが、そして無償の好奇心があってのことであはないか。そしていかなる「気づき」も治療に活用が可能である。プラグマティストの私には、偶然を偶然に返し、そこから自由連想によって思いがけないヒントを得るということでよいであろうと思う。「シンクロニシティ」はまったく人間世界に属し、「発見論的huristic」である。人生も精神療法も大いに偶発的に左右され、それに翻弄されることもあるが、それを活用して思わぬ展開が起こることもある。
ユング派にはこれでは御不満の方もあるかもしれないが、素粒子が薄く散らばっている大部分の宇宙空間には「シンクロニシティ」はない。「シンクロニシティ」は人間界に属する。もっとも、誤解は因果関係についても存在する。因果関係は決して科学法則と同じでない。たいていの科学的事象は統計学的、確率的である。そしてこの宇宙の基礎をつくっている法則や定数は無根拠すなわち偶然この宇宙に与えられたものである。性急に因果関係を求めない「脱因果的思考」を私が精神治療の好ましい条件に挙げたところ、河合先生は大賛成してくださった。言語は因果論を性急に打ち立てやすい嫌いがある。しかし、その関係づけの多くは短絡的であるか、部分的である。一般に「単純なものは論弁的discussiveに、複雑なものは表象的representationalに」(カッシラーの弟子の女性哲学者キャサリン・ランガー*3)表現すべきである。河合先生ならずとも、複雑な関係は表象的・一挙提示的に表現される。絵画や箱庭や粘土に眼が向くのは道理であろう。(pp.88-90)