『闘うレヴィ=ストロース』

新書498闘うレヴィ=ストロース (平凡社新書)

新書498闘うレヴィ=ストロース (平凡社新書)

渡辺公三『闘うレヴィ=ストロース*1を先週読了。


はじめに
序章 ひとつの長く豊かな生
第一章 学生活動家レヴィ=ストロース
第二章 批判的人類学の誕生
第三章 野生の思考へ向かって
第四章 もうひとつの豊かさの思考
おわりに


あとがき
レヴィ=ストロース略年譜
レヴィ=ストロース著作・論文リスト
参照・引用文献

以下、幾つか抜き書きをする。
序章では「聴覚や視覚そしてさまざまな感覚と「構造」の探究はレヴィ=ストロース自身の生涯の主題となる」と述べられている(p.20)。そして、

調停が不可能になって思考が停止する「矛盾」ではなく、一見克服しがたい「逆説」をつきつめてゆき、その過程を豊かな経験に転換する思考の流儀といったものがレヴィ=ストロースにはあるように思える。
レヴィ=ストロースにとって『神話論理』の基本的なモチーフのひとつは、人間にとっての「感覚的なもの」と「理性的なもの」の対立を克服する方法はあるのか、「神話」はその答えではないか、という問いにあるといえるだろう。(略)「神話」においては感覚と理性が密接に結びつき、表裏一体となって人間の生きる世界の意味を開示する。感覚にとらわれることから脱却することで理性的になるという、西欧の思想が主導して練り上げられた常識とも呼ぶべきものがある。この常識をくつがえす、感覚と理性の結合という逆接を、神話を生き生きと生きていた人々の経験を内側から生きなおし、現代の人間が見失った世界との接し方として再発見することに、レヴィ=ストロースはとりわけその後半生を捧げてきた。
感覚と理性とが未分化なのではない。神話が語る感覚を通じた世界とのかかわりあいのなかに、主幹を超えた、人間に共通な生きることの条件を成り立たせている「論理」を探究することが重要なのだ。人が世界に暮らして、世界と他者との交渉をもつのは感覚を通してである。感覚はそれを脱却することで理性が目覚める、誕生以前の知性なのではない。感覚に内包された論理が、すでに知性をあらかじめ構造化している。(pp.21-22)
第1章で採り上げられるのは、大学生・社会党の活動家時代のレヴィ=ストロース。後の人類学者レヴィ=ストロースとの関係で著者が特に重視しているのは、(遠い親戚でもあった)*2ポール・ニザンの『アデン・アラビア』への書評とジャック・ヴィオ『白人の降架(Deposition du Blanc)』への書評。『アデン・アラビア』への書評の最後――「ポール・ニザンの経験の価値はアデンから帰還したことではなく、そこに行ったことにある」(p.68から孫引き)。ジャック・ヴィオシュールレアリストで、後に映画『黒いオルフェ』のシナリオを書いている。
一九二五年、詩人を志していた二七歳のヴィオはまだ売り出し中の画家ホアン・ミロ(一八九三‐一九八三)と親交を結び、ミロからアンドレ・マッソン(一八九六‐一九八七)に紹介されシュルレアリストと交わることになった。モンマルトルの仕事場をミロにアトリエとして譲り、マックス・エルンスト(一八九一‐一九七六)やルネ・マグリット(一八九八‐一九六七)と接しつつ、ヴィオはモンマルトル界隈での書画骨董の取引にも手を染めていた。やがて有力な画商ピエール・レーブ(一八九七‐一九六四)の後ろ盾で、定期航路の就航したニューギニアに「未開美術」を買い付けに赴くことになった。こうして一九三〇年代初頭、ヴィオはオランダ領ニューギニアから未開美術を直接買い付けて、シュルレアリストとその周辺の愛好家にはじめてもたらした者として、限られた人々に知られることになったらしい。その旅の経験から『白人の降架』が生まれた。(p.81)
レヴィ=ストロース、『白人の降架』を評して曰く、

この、観光客でも学者でもない、単なる通過者という、いくぶんかいつわりの位置から、ヴィオは観察する。帰還の後、よりよく証言するために観察する。『白人の降架』が東洋への賛美でもあるとすれば、それはまた植民地主義と宣教師への尋問でもあり、そして何よりも未開世界の擁護であり未来世界への呼びかけ、人間性が十全に生き生きと実現される素晴らしい世界への呼びかけなのだ。(p.82から孫引き)
また、『悲しき熱帯』の書き出し「私は旅や冒険家が嫌いだ」は『白人の降架』の書き出し「旅は不快なものだ」の反復(pp.82-83)?
ポール・ニザン著作集〈1〉アデン アラビア

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悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

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第二章で採り上げられるのは、伯剌西爾でのフィールドワーク生活、第二次大戦中の紐育のでの亡命生活及び『親族の基本構造』の執筆。この時期のレヴィ=ストロースの生を著者は「トランス・アトランティック・ノマド」と呼んでいる(pp.90-94)。
1943年の論文「南アメリカ・インディアンにおける戦争と交易」について*3

(前略)緊張に満ちたナンビクワラ集団間の交易の観察を起点に、交易と戦争という両極のあいだに展開するコミュニケーションの諸相が、マルセル・モース(一八七二‐一九五〇)の『贈与論』(一九二五)を思わせる筆致で描かれてもいる。
人類学的思考に根強く生き続ける進化論的な思い込みの矛盾は鋭く批判され、いくつかのインディアン社会の「後進性」は、ブラジル政府の軍事的な制圧と強制移住に原因が求められ(略)、イトコ婚と双分組織がこれまでの議論とは異なった仕方で結びつけられ、父系や母系の系譜を社会組織に直結させるあまりに機械的な理解は疑問が付されるなど、後のレヴィ=ストロースの主張の萌芽は予感される。南アメリカに共通な文化の母胎から、サバンナに押し出されたナンビクワラや森に留まったボロロや、アンデスの「高文化」などが分化するという、「先コロンブス(略)」期の社会の動態のヴィジョンもしめされている。とはいえ、そこには『親族の基本構造』の壮大な探究の片鱗はまだ感知されない。この段階ではまだ個別課題の慎重な検証に主眼がおかれていたということだろうか。こうした技術的な個別の問題を既存の進化論や伝播論の不適切な展望から切り出し、ひとつの問題系として相互に関連づけ、新たな統一的な視点から解決することがレヴィ=ストロースの狙いであった。そのラディカルな枠組みが、それまでの人類学では前面に押し出されることがなかった親族関係の生成による「自然から文化への移行」という視点だった。おそらくこの視点こそ、かつてニザンやヴィオへの書評で提起された人間と自然の関係という問いにレヴィ=ストロース自身が見出した答えだったと思われる。(pp.124-125)
社会学と人類学 (1)

社会学と人類学 (1)

親族の基本構造』を巡って;

問題は、あれこれの親族現象を進化や伝播や社会の再生産機能によって「説明」することではない。ふたつの異なった観念体系間で「翻訳」が可能かという問いでもない。ここで仮に「構造分析」と呼ぶ作業は、言語の無意識のレヴェルの構造を解明したヤコブソンの音韻論をモデルとして構想される。レヴィ=ストロースは、問題を解決する以上の混乱をもたらすだけの進化論(結婚制度はどのように進化し変化したか)や伝播論(交叉イトコ婚や双分組織はどこで始まりどう広まったか)、あらかじめ現象を貧しくすることで解決らしく見える偽の回答を与える機能論(結婚制度はどのように社会の安定に資しているか)を、他者理解における幻想として克服する可能性を、異質な思考を分析するためのモデルとして音韻論を拡張することに見出したのである。(pp.125-126)

(前略)その「交換」の視点から親族関係を解釈しなおす透徹した論理が、過去そして同時代の人類学者の大多数に多かれ少なかれ共有されていた社会観に根底的な疑義を対置するものであったことは、今日なお十分に理解されていないように思われる。父系、母系の系譜意識に支えられた氏族への個人の帰属という原理こそが社会を構成するという、帰属すなわち「同一性」の論理である。そして、一夫一婦の「単婚」中心的な見方である。
同一性の論理が誇張ともいえるまで徹底されたものとしてデュルケームに代表されるトーテミズム論がある。父系あるいはそれに先行する母系の系譜によって結びつく「神話的な」先祖としての動植物であるトーテムと氏族集団の「同一性」の観念、それに支えられた氏族成員間の同一性の観念。デュルケームにおいては氏族成員の「血」の同一性、同じ血を流すことの忌避こそが「近親婚の禁止」の基礎とみなされていた。また、フロイトにおいては、より劇的なイメージによってトーテム供犠を食べることで「父」と同一化することと「近親婚の禁止」の発生が結びつけられていた。
女性の「交換」に親族関係の生成を見るレヴィ=ストロースは、系譜関係によるトーテム祖との同一化という垂直の関係ではなく、女性の交換と循環による水平方向への関係の展開と伸張に注目するということもできよう。(pp.141-142)
デュルケームの「トーテミズム」論は『宗教生活の原初形態』。レヴィ=ストロースによる「トーテミズム論」批判はやはり『今日のトーテミズム』ということになるだろう。
宗教生活の原初形態〈上〉 (岩波文庫)

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宗教生活の原初形態〈下〉 (岩波文庫)

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今日のトーテミスム

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第3章で採り上げられるのは戦後仏蘭西に帰国して、(かつては代表作と目されていた/現在から見れば『神話論理』四部作への壮大な序章であった)『野生の思考』を書き上げるあたりまで。「神話」研究への本格的な取り組みについて。
野生の思考

野生の思考

著者は『悲しき熱帯』と『親族の基本構造』と『野生の思考』の聯関を先ず以下のように述べている;

第二次大戦というカタストロフィーを、レヴィ=ストロースアメリカへの亡命によって切り抜けた。カタストロフィーを切り抜けるというその動機は、破局を切り抜けて別の世界に到達する意欲に支えられていたようにも思われる。カタストロフィーを生み出し、カタストロフィーに見舞われた西欧からはもっとも遠い他者の、もうひとつの豊かさの思考を我がものにする意欲……。『悲しき熱帯』に描かれた彼らとの出会いではいわばブラックボックスとして残されていた「彼ら」の思考に到達するための外枠は『親族の基本構造』によって描き出された。彼らは彼らをとりまく世界をどのようにとらえているのか、というブラックボックスのなかにどう接近するか。そうした課題こそ持続する営為を支えたものではなかったか。(pp.146-147)
ところで、著者がその後のマーシャル・サーリンズ*4やエマニュエル・ウォーラスティンの視点を先取りしているという(p.179)「社会経済的発展と文化的不連続性」(1961)におけるレヴィ=ストロース流の『資本論』読解を孫引きしておく;

マルクス主義の基本的な問題は労働がなぜ、いかにして剰余価値を生むかということである。それに対するマルクスの回答が民族誌学的なものであったことは多くの場合気づかれていない。原始の人類は人口が限られていた分、労働に対する収支がよい自然条件の地域に定着した。いっぽう、剰余価値と労働の関係においては前者が後者に負荷されるような関係を設定することは、文化――民族学のいう意味での文化――の本質的な特性である。ひとつは論理的な、もうひとつは歴史的なこれらふたつの理由から、出発点においてはあらゆる労働は必然的に剰余価値を生んだと想定できる。人間による人間の搾取はその後にくるものであり、具体的には歴史のなかで、植民者による被植民者の搾取のかたちで、いいかえれば、原始人がまったき処分権をもっていた剰余価値を前者が奪取するというかたちで出現した。(後略)
結果としてまず、植民地支配は論理的・歴史的に資本主義に先行すること、そして資本主義体制は、それに先立って西欧の人間が土着の人間を扱ったやり方で西欧の人間を扱うことにある、と結論される。マルクスにとって資本家と労働者の関係は植民者と被植民者の関係の一特殊例にほかならない。この視点からすれば、マルクス主義の思想においては経済学と社会学民族誌学の一部として誕生したとほとんど言えそうである。(後略)(cited in pp.177-178)
『野生の思考』の裏表紙に何故「クズリ」*5の絵が使われているのか。北米中央平原に住む「ヒダッツァ」における「ワシ猟」――「罠の穴に隠れた猟師がワシを手づかみする」。その猟の仕方を人間に教えたのが「クズリ」(p.181)。
(前略)とりわけ注目すべきは、一九五〇年代に多方面から展開された神話への接近のなかで、このヒダッツァのワシ猟をめぐってはじめて、神話に登場する動物(ここではクズリ)の厳密な同定が主題化されていることである。アメリカの人類学者は、この動物を時にはクマとみなし厳密な同定に格別な注意をはらっていない。レヴィ=ストロースは詳細な動物誌や狩猟記録に依拠して、人が仕掛けた罠の餌ばかりでなく時には穴にまで入り込んで、罠そのものさえ持ち去ってしまうクズリの狡猾な修正を確認し、罠の穴に自ら入ってワシをとらえる猟師が自分と同一視する動物がクズリ以外ではありえないことを検証しているのである。猟師は狩りのあいだ、いわばクズリになるのである。
こうして天界のワシと地中の猟師の結合なしに成り立たないワシ猟の起源神話を構成する「最大のへだたり」としての天と地中の対比と相関の関係がクズリという具体的な生物を道具として思考されることがたしかめられる。厳密な種の同定という課題を教えたことで「野生の思考」にブレークスルーする道をしめした功績があるからこそ、著者は『野生の思考』の裏表紙に、北アメリカのとりわけ鳥類の美しい細密画を残したジョン・ジェームズ・オーデュボン(一七八五‐一八五一)のクズリの挿絵を配したのではないだろうか。表紙の「野生の三色すみれ」(略)はたびたび語られてきたが、いかにも獰猛ながら愛敬のある、個性的なクズリの姿に著者が託したであろうサインに、さほど注意を向けてこなかったことはやや片手落ちではないだろうか。(後略)(pp.182-183)
『野生の思考』から『神話論理』へ;

『野生の思考』から『神話論理』への展開におけるポイントは、多様な生物種とりわけ動物が、前者では思考にとって操作対象の地位に甘んじる「種操作媒体」にとどまるのに対して、後者においては少なくとも多くの神話で、人間にとってつい近い過去までもっとも身近な他者、それも微妙な関係に立たざるをえない姻族のような他者として登場するという点である。いいかえれば神話は「野生の思考」について省察する「野生の思考」として、婚姻を含む人間以外の異種との交換と交歓の物語ともなっている。(後略)(p.194)
第四章で採り上げられるのは『神話論理』以降の所謂後期の仕事であるが、第3章の末尾には、「『親族の基本構造』を起点に大きなループを描いて神話論理のなかに親族関係の問題系が変容しつつ包摂されてゆく行程をたどることが次章の主な目標のひとつとなる」と書かれている(p.195)。
ここでは、レヴィ=ストロースにとっての「ブリティッシュ・コロンビア*6という特権的なトポスについてメモしておく;

『裸の人』の分析は、北アメリカ北西海岸内陸部のきわめて限定された地域の神話群をあつかっている。南北アメリカ・インディアンの神話体系の縮図は、北アメリカ北東部海岸*7、カナダのブリティッシュ・コロンビア州の限られた地域を舞台にたしかめられる。しかしこの比較的限定された地域は、さまざまな言語を話す集団が入り乱れて居住し、とりわけセイリッシュ語族の集団が伝統的に通商活動を展開した、民族間コミュニケーション密度の高い、開かれた空間であった。それと同時に、レヴィ=ストロースは、考古学的な知見を手がかりに、この地域が南北アメリカ大陸でも「もっとも古くから人の住んだ場所のひとつ」であり、アラスカ方面から南アメリカまで到達するインディアンの祖先たちの移動ルートの要の位置にあったと推測している。「海とロッキー山脈のあいだにあってこの地域は〔……〕その回廊の形状が、ベーリング海峡と内陸部の河谷を経由してやってきた、ひとつないしいくつかの移住集団を切り離し、ついでに長期間孤立させる役割を果たした可能性がある。」こうした条件が、神話の古層を持続させ、『神話論理』全体の出発点にレヴィ=ストロースが選んだブラジルのボロロの神話*8と、この地域の神話が驚くほど似ている理由となっていると想定されている。それと同時に女性の交換による通婚関係もふくめて活発な通商関係を通じて、とりわけフランス人狩猟者と毛皮商人と接したインディアンたちが、ヨーロッパ民話をとりいれ、土着の物語と見分けがたいまでに融合させた物語を語っているともみなされるのである。それは、とりわけ『神話論理』完成から二〇年後に刊行された『大山猫の物語』の重要なテーマとしてとりあげられることになる。(pp.222-223)
神話論としては最後の著作となった『大山猫の物語』(p.232ff.)。ブリティッシュ・コロンビアを中心とした「風と霧の起源」の、大山猫とコヨーテが登場する神話群。そこから浮かび上がるのは、レヴィ=ストロースによれば、「双子であることの不可能性」であるという(p.233)。渡辺氏は、それは「アメリカ・インディアンの神話は、インディアン自身にとっての自己と他者の関係をどのように語るのか」、「「発見された」インディアンと「発見した」白人の関係」をどう語るのかということに繋がり、「この問いは『人種と歴史』で提起された「野蛮人とはなによりも先ず、野蛮が存在すると信じている人なのだ」という鋭い逆接に満ちた定式に対するインディアン自身の応答を、コロンブスの「発見」以来、「彼ら」が経験したことを踏まえて仮説的に構築することにほかならない」という(p.234)。ブリティッシュ・コロンビアの(ヨーロッパの話を取り込んだ)或る神話を巡って、次のように書かれている;

レヴィ=ストロースはインディアンたちが、多くの場合、到来した白人たちを神話に語られた祖先の霊が回帰してきたものとして腕を開いて迎え入れた、ということを強調している。到来すべき他者の場所をあらかじめ用意すること、他者を「野蛮人」とみなすばかりではなく、時には神として迎える謙虚さをそなえること、他者のもたらす聞きなれぬ物語をも自らの物語のなかに吸収し見分けのつきにくいほどに組み入れること。しかし、その他者が究極的には、分岐し差異を最大化してゆく存在であることを許容すること。自らの世界のなかに場所を提供しつつも、対になることは放棄せざるをえない不可能な双子、アメリカ・インディアンにとって外部から到来した「西欧」の存在をそこに読み取ることができる、これが『大山猫の物語』でレヴィ=ストロースが引き出した結論だった。(pp.250-251)
これはそのまま「終わりに」に繋がる。先ずポール・リクールのインタヴューに答えた(「野生の思考」とは)「彼らの位置に自分を置こうとする私と、私によって私の位置に置かれた彼らとの出会いの場であり、理解しようとする努力の結果なのです」というレヴィ=ストロースの言が引かれ(p.253)、それは(レヴィ=ストロースにとって)「人類学の企図」は「「彼らとの出会いの場所」を「私によって私の位置」において作る」ことだと著者によってパラフレーズされる(p.254)。そして、「対称的な関係」の不可能性の可能性という『大山猫の物語』の結論が呼び戻され(p.255)、レヴィ=ストロースの生涯或いは他者理解としての「構造主義」が以下のように総括される;

レヴィ=ストロースがそのような企図をもったきっかけははたして何だったのか、という問いへの回答を求めることもまた、この本を書く重要な動機のひとつであった。
それは、「他者」への深い共感をもちつつ、わたしにはただちに彼らを理解する手立てがないという、関係の経験ではないだろうか。『悲しき熱帯』に描かれ『ブラジルへの郷愁』という写真集に写し出されたカデュヴェオの女性やボロロやナンビクワラの人々の肖像は、何よりもそうしたレヴィ=ストロース自身の彼らとの関係を写し出しているように思える。ブラジルに出発する前後の二〇代のレヴィ=ストロースをやや詳しく振り返ることで、同時代の自分の世界へのある違和感と、ブラジルで出会った人々へのある共感を、構造主義以前の構造主義の感覚として確認することは大事な作業だと思われた。
共感に満ちた無理解は、理解できないことへの絶望や苛立ち、理解する試みの放棄、あるいは共感とは異なった愛憎や好悪には逸脱することのない、それらとは異質な関係の経験であり、そうした関係を維持することへの意志ではないだろうか。民族誌調査にあたって先達であるマルセル・モースが、調査者は「無感動(impassible)でなければいけない」といった言葉*9が意味するものに、それは近いのだろう。そうした経験と意志が、「前提」や「公理」という言葉で表明されることにレヴィ=ストロースの個性があり、「構造主義」の特性があるのかもしれない。そこには主観とは異なり、また無意識とも微妙に重なりあわない構造の探究の方向があらわれている。(pp.256-257)
ところで、『神話論理』は日本においては30年以上も〈近日刊行〉状態が続いていた、有名ではあっても読まれることのない書物であったわけだが、本国仏蘭西でも事情は差不多であったらしい;

(前略)数年前、来日した著名なフランスの哲学者に京都案内をしながら、問わず語りに「私は最近やっと『神話論理』を読みおえたのだけれど、たいへんおもしろかった、まだ読んだことはなかったのだ」と聞かされて、少々驚きながらも妙に納得したことを思い出す。二〇〇〇ページを超すこの大著は、語られることは多くても、わたしたちにとって知的な財産としてはまだ十分に消化吸収されてはいない。(pp.14-15)