「思う壺」は安い

郷原信郎*1「“「統一教会問題」取り上げるのは「犯人の思う壺」”論の誤り」https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20220807-00309168


山上徹也*2安倍晋三殺しを契機に、統一協会のこと、特にその政界との関係が取り上げられるようになっているが、そういことは犯人、山上徹也の思う壺だという論があるようだ。その典型は、元統一協会代理人高村正彦*3が『週刊文春』に語ったという「勝共連合統一教会がいいか悪いかは別として、この事件で統一教会が取り上げられることは、テロをやった人の思う壺なので正しいとは思えない」という言だろうか。
私見では、山上の今回の「思う壺」はお買い得だと思う。統一協会の大理石の壺よりも費用は低く、ご利益は高い。
さて、


山上容疑者の犯行の目的には、単に恨みを晴らすだけではなく、「最も政治的影響力が大きい旧統一教会のシンパであった安倍元首相」を殺害することで、社会の関心を旧統一教会の反社会性と、政権与党である自民党議員との関係に向けようとする「告発的動機」もあったように思える。実際に、事件を機に、その問題がマスコミ等で大きく取り上げられ、相当程度目的を実現している。
こういうことをいうのは時期尚早なのではないかと思う。山上の肩書はまだ容疑者であって、被告になっていない。まだ、検察は「動機」などを含むストーリーを構築しておらず、当然弁護人による対抗的ストーリーも構築されていない。現在確実なのは、山上は統一協会に強い怨恨を持っており、それと今回の安倍晋三殺しは無関係ではないといことだけだ。
ところで、犯人の「思う壺」だから統一協会への追及は止めろというのは、逆説的な仕方で山上の〈大義〉を構築してしまっているということなのでは?