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共同通信の記事;


京福祉大、創設者が総長に復帰 わいせつ実刑文科省調査
12/23(水) 12:03配信


共同通信

 部下の女性教職員への強制わいせつ罪*1実刑判決を受けたことがある東京福祉大の創設者、中島恒雄氏(73)が総長に復帰したことが23日、文部科学省への取材で分かった。同省はワンマン経営に問題があるとして復帰させないよう大学側に指導してきており、経緯の報告を求めている。

 文科省によると、中島氏は11月20日付で学長と運営学校法人の理事長を兼ねる総長に復帰。ホームページには中島氏の写真が掲載され、法人理事長や学長、系列の専門学校長などとして紹介されている。

 文科省は中島氏に権限が集中していたことを問題視しており、大学側も復帰を認めないとの再発防止策を公表していた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/438c14204475d253826ece1be44fcacdb60eb72a

問題の核心は「中島氏に権限が集中していたこと」だけでなく、以下の『毎日新聞』の記事にあるように、北朝鮮や戦前の天皇制や文革期の中国の如くカリスマの捏造を行っていることにあるのだけど。
『毎日』の記事は詳しい;

京福祉大総長が復職 過去に強制わいせつ罪で実刑判決 文科省への説明、ほごに
12/22(火) 19:00配信


毎日新聞

 部下の女性教職員5人に対する強制わいせつ罪で2008年に実刑判決を受けた東京福祉大(本部・東京都)の創設者、中島恒雄氏(73)が、11月20日付で、大学長と運営母体の学校法人「茶屋四郎次郎記念学園」理事長を兼ねる総長に復職したことが同法人への取材で分かった。大学側は、中島氏を運営に関与させないことを文部科学省に報告してきた経緯があり、同省は「過去の説明と整合性が取れない」として調査に乗り出した。【鈴木敦子】

 中島氏は総長だった08年1月に強制わいせつ容疑で警視庁に逮捕され、総長を辞任した。同10月に懲役2年の実刑判決を受けた。

 大学は08年6月、中島氏に権限が集中していた体制を見直し、学長と法人理事長を分離したうえで、中島氏の復職は認めないとする再発防止策を公表した。文科省は、中島氏を運営に関与させないよう大学側に求めてきたが、服役し出所後の10年7月から「事務総長」として雇用されたり、コンサルタント業務を請け負ったりするなどの関与が確認された。そのため、私学助成金を分配する「日本私立学校振興・共済事業団」はたびたび助成金を減額してきたが、10~18年度の交付額は計約29億円に上る。

 文科省は中島氏の運営への関与を問題視し、説明を求めたところ、同法人は19年2月、「事件以降、(中島氏を)経営や教育に一切関与させておらず、今後も同様」と文書で回答した。ただ、刑法では刑期満了から無事に10年が経過すれば刑の言い渡しは効力を失う(刑の消滅)とされているため、この文書の中で、刑期満了から10年となる20年10月24日以降に中島氏を復職させる意向を示し、文科省が撤回させた。

 しかし、同法人によると、中島氏は11月20日の学長候補者選考委員会で選出され、理事会の承認を経て同日付で学長と理事長を兼務する総長に就いた。トップに復職した理由について、同法人総務課は毎日新聞の取材に「本格的教育者である中島によって本学の教育理念を確実に実践し、公務員、教員採用試験等の合格者教育実績をさらに上げて社会的信用を回復していこうという中で、今回の復帰となった」などと文書で説明した。

 学長だった太田信夫氏は20年4月の就任後から体調を崩し10月以降に水野良治理事長(当時)に辞任の意向を伝え、水野氏も「一身上の都合」で11月20日付で辞任したという。


 ◇文科省私学部は大学側に見解を確認へ

 今回の復職を受け、文科省私学部の担当者は「中島氏の関与は不適切だという再三の指摘を無視し、過去の説明をほごにした。見解を確認する必要がある」と話している。

 元検事の郷原信郎弁護士は「一人が理事長と学長を兼ねる体制にはしないと約束したのだから誰であろうと権力集中を再び許したことは問題がないとはいえない」としつつ、「復帰したことの違法性は指摘できない」と話す。

 一方、リスクマネジメント論が専門の亀井克之関西大教授は「文科省の指摘を無視し、内部から疑問の声が上がってもはねのけてしまう。組織を脅かすリスクには経営者による『ワンマン』や『私物化』があり、今回のケースは典型例と言える。コンプライアンスが厳しく求められる時代に、法人としての見識が疑われても仕方がない」と指摘している。

 東京福祉大は東京都と群馬、愛知県に計4カ所のキャンパスがあり、学生と大学院生は計約4400人。


 ◇「恐れていた日がやってきた」

 東京福祉大の総長に中島恒雄氏が復職した翌日の11月21日、東京都豊島区の池袋キャンパス教務課の壁には、金色の額縁に入った中島氏の顔写真が本人の指示で掲示された。かつて米ハーバード大に学者として招へいされた際の証明書を拡大コピーしたものだ。3日後には群馬県伊勢崎市の伊勢崎キャンパス教務課にも同じものが掲げられた。

 しかし、学内からは中島氏の復職に疑問の声が聞かれる。教職員に一斉メールで中島氏の復職が伝えられたのは12月7日。ある関係者は声を潜めて言う。「復職のうわさは2~3年前からあった。教職員の多くは恐れていた日がやってきたと、顔をこわばらせていた」

 今年10月前後には、教職員が個別に管理職に呼ばれ、文部科学省に提出するとみられる「嘆願書」への署名を迫られたことがあったという。嘆願書は「中島博士は余人をもって代えがたい。一日も早い現場復帰を望む」という趣旨だった。

 東京福祉大では2016~18年度に計1610人の留学生が所在不明となっていることが文科省の調査で判明した*2。ある大学関係者は「復職にあたっての教職員へのあいさつは、謝罪や反省どころか『自分は悪くない』という内容だった。留学生の問題が起きたばかりの大学のトップに中島氏を据えるのはどう考えても適切だとは思えない。学生や世間にも説明がつかない」と語る。
https://news.yahoo.co.jp/articles/338352122f99328dcf47a1a304d2c29393fed31f

「かつて米ハーバード大に学者として招へいされた際の証明書」という表現。「招へい」は括弧でくくるべきだろう。そこでは、visiting scholarの普通の訳語は「訪問学者」だけど、「招聘学者」と強引に訳すことがずっと行われて続けている。「招聘学者」というと、ハーヴァードが三顧の礼で招いたかのような印象が生まれるじゃないですか。因みに、プリンストンのvisiting scholarになった村上春樹は「訪問学者」と自ら訳している(『やがて哀しき外国語』*3)。
やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

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