双系化など

「現在の統一教会自民党へのバッシングは溜まりに溜まったひずみエネルギーを解放する必然の過程だ」https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2022/08/04/064201


曰く、


「今更感」と仰るけれども、例えば私が少年時代を送った1970年代であれば、冷戦構造に起因する「反共」勢力同志、さらには現在の団体名「家庭連合」にも反映されている家父長制等への回帰志向などで(旧)統一教会自民党が癒着するのにはそれなりの理由というか「土台」(下部構造)があった。しかし今では冷戦も終わっているし、本当の田舎ではどうだか知らないけれどもいわゆる大都会にとどまらない県庁所在地など地方都市でも家父長制なんか相当壊れ切っていると思われる。暗殺された安倍晋三家だって家父長制どころか女系だった。そんな時代になっても未だに自民党統一教会が癒着し続けている方がおかしな話で、それは現在の日本社会のニーズに応えないどころか妨害するものだった。それを安倍晋三を筆頭とする清和会の政治家やその仲間が権力で押さえつけていたのが、安倍晋三の暗殺でその重石が突然とれた。それで一気に今まで溜まっていたひずみエネルギーが解放されつつある。それが現状なんだと思う。だからまず第一に統一教会、それに次いでは統一教会と癒着していた自民党(特に清和会)が徹底的にバッシングされるのは必然の過程だとしか私には思えない。
安倍晋三において浮き彫りになっているのは、意識における双系化ということだろう。安倍晋三岸信介の孫だと平気で言われるが、例えば現在でも父系制に固執している中国人(特に漢族)の世界では、祖父母と(母系の)外祖父母ははっきりと区別されている*1。勿論、父系でも母系でも斉しく先祖と認める人が増えているということはあるわけだけど、その一方で多くの人が父親の苗字を継いでいるので、その意味では、父系制の圏内にあるといえる。
作田啓一先生曰く、

しかしもちろん母系家族がふえたわけでもない。圧倒的にふえているのは、父系の血縁も母系の血縁も共に血縁と認める双系家族なのである。したがって父系の皇室を家族の望ましいモデルとする意識は国民のあいだにはもはや存在しない。だから皇室はどうしても父系でなくてはならず、そうでなければ皇室の威信はなくなるといったイデオロギーは、国民の生活の現実からあまりにも浮き上がっているので、それの信奉者はむしろ少数派であろう。
(「皇室の双系化、心配ご無用」http://gekko.air-nifty.com/bc/2006/03/post_1e68.html*2
作田先生は「双系化」を近代化の効果だとしている;

近代化が進行すると、巨大化した社会の中で父系親族集団をはじめ、多くの中間集団は自立性を失って解体してゆく。こうした社会の中では血縁関係を限定する系譜は問題にならなくなってしまう。なぜならここでは自立した中間集団一般が必要ではなくなるからだ。こうして父系家族に代わり双系家族が一般的となる。しかし血縁関係そのものが価値を失ったわけではない。それは自他を区別する1つの象徴として存続している。この象徴をさらに限定する系譜という二次的な象徴が価値を失っただけなのだ。
たしかにそうなのだが、日本の場合、そもそもが双系制で、それが律令制の導入や儒家の影響などによって抑圧されたに過ぎないという側面もある*3
さて、安倍晋三北村経夫*4の選挙のために統一協会に頭を下げ、関係を再強化したといわれるが、経夫の実家である北村家は、日本を代表する女系家族のひとつだといえるだろう。
ところで、統一協会というのがグローバルな組織である。グローバルな準位において、〈反リベラル的バックラッシュ〉の潮流が渦巻いていることに注目しなければならない。例えば露西亜のウラディミール・プーチンとか、米国においてバイデン政権の足元を脅かしているドナルド・トランプ一派が大きな渦をつくりだしていると言えるだろう。そのバックラッシュの賭け金となっているのがセクシュアリティの問題ななのだった*5。大波なのか小波なのかは知らないけれど、統一協会もそのようなグローバルなバックラッシュの波のひとつであり、安倍晋三もまた同様に波のひとつであろう。