笑いと「民主主義」

向田邦子「笑う兵隊」 (in 『無名仮名人名録』、pp.174-179)*1から。


戦前の日本人は、今みたいに笑わなかった。
特に男は、先生や父親が笑わなかった。
昔の武士は「男は年に片頬」。一年に片頬でフンと笑えば沢山だといったそうだが、それほどではないにしろ、大の男が、理由もないのに笑えるかというところがあった。
お巡りさんも笑わなかったし、兵隊さんも笑わなかった。
小学生の頃、鹿児島に住んでいたのだが、港に軍艦が入港し、海軍さんが何人かずつ割り当てになってうちに泊ったことがあった。酒を出したりして、父も母ももてなしていたが、客間からはほとんど笑い声が聞こえなかった。慰問袋のご縁で礼にみえた陸軍の兵隊さんも、やはり固い表情で玄関で挙手の礼をしただけで、笑顔は見せずに帰っていった。
戦争に負けて、GIが入ってきた時、私が一番びっくりしたのは、チビや大男やデブもいるのに、一人一人、まるで仮縫でもしたように体にピッタリ合った制服と、ガムを噛み噛み仕事をしていること、そして、よく笑うことであった。
私にとって、戦争が終わったということと、民主主義は、男が笑う、兵隊が笑うということなのかも知れない。なんのかんのいっても、平和なのである。だから、火事場へ急ぐ消防夫は笑っていたのだろう*2。それとも、ああいう顔立ちだったのかしら。(pp.178-179)