「生態史観」余波

京都学派 (講談社現代新書)

京都学派 (講談社現代新書)

文明の生態史観 (中公文庫)

文明の生態史観 (中公文庫)

菅原潤『京都学派』*1から。(哲学の)「京都学派」ではなく、戦後の人文研究所を中心とする「新京都学派」の中心人物となる梅棹忠夫の『文明の生態史観』*2とその余波を巡って。
「文明の生態史観序説」が『中央公論』に発表されたのが1957年。「序説」を含む単行本『文明の生態史観』が上梓されたのが1967年(p.206)。
「「序説」の最大のポイントは、従来のようにアジアとヨーロッパを含めたユーラシア大陸を東洋と西洋という風に方角的に二分するのではなく、ユーラシア大陸の東西の極を第一地域、残りの中央を第二地域と呼んで、第一地域と第二地域とでは文明化の進展が異なると見ることである」(ibid.)。「第一地域はイギリスと日本、第二地域は中国、インド、ロシアおよび中東である」(p.207)。
「序説」に最初に反応したのは加藤周一*3。『中央公論』に発表された「近代日本の文明史的位置」。また、梅棹と堀田善衛*4を招いた鼎談「文明の系譜と現代的秩序」。加藤の反応は大まかに言えば、少々の「当惑」と好奇心といえるだろう(pp.207-208)。


これに対して、右寄りの論客たちのあいだでは、「序説」において日本が先進国のイギリスと同列に扱われていることを歓迎する声が相次いだ。例えば小説『ビルマの竪琴』(一九五三年)の作者として知られているドイツ文学者の竹山道雄(一九〇三〜八四)が発表した論文「日本文化の位置」を受けて、法政史家*5の石井良助(一九〇七〜一九九三)、国際法学者の大平善梧(一九〇五〜八九)、美術評論家の河北倫明(一九一四〜九五)、唐木順三、経済学者の木村健康(一九〇九〜七三)、高坂正顕、日本学者のサイデンステッカー(一九二一〜二〇〇七)、鈴木成高、社会思想史家の関嘉彦(一九一二〜二〇〇六)、英米法学者の高柳賢三(一八八七〜一九六七)、ジャーナリストの直井武雄(一八九七〜一九九〇)、西谷啓治文化人類学者のパッシン(一九一六〜二〇〇三)、西洋史学者の林健太郎(一九一三〜二〇〇四)、小説家の平林たい子(一九〇五〜七二)、比較文学者のロゲンドルフ(一九〇八〜八二)および竹山を交えた座談会「日本文化の伝統と変遷」が催され、竹山論文も含めてシンポジウムと同名の単行本が刊行された。
こうしたナショナリスティックな気運の高まりに対して、中国文学者の竹内好が「二つのアジア観」という論考を『東京新聞』に掲載して、いささかイデオロギー的に竹山らの動きを牽制した。また「序説」に賛同する座談会に高山岩男を除く京大四天王の三人が参加していることは、注意を要する。(後略)(pp.208-209)
また、さらに後には、廣松渉も『生態史観と唯物史観』を出している。
ビルマの竪琴 (新潮文庫)

ビルマの竪琴 (新潮文庫)

日本とアジア (ちくま学芸文庫)

日本とアジア (ちくま学芸文庫)

生態史観と唯物史観 (講談社学術文庫)

生態史観と唯物史観 (講談社学術文庫)

もっと最近の、全く別の方面からの「生態史観」批判としては、例えば土佐昌樹『アジア海賊版文化』第一章。「生態史観」における「アフリカ」や「アメリカ」のネグレクト。
アジア海賊版文化 (光文社新書)

アジア海賊版文化 (光文社新書)