海老坂武『戦争文化と愛国心』*1から。
1941年(昭和16年)に小学校が「国民学校」に改称された。「小学校」時代、1年生用の国語の国定教科書は「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」から始まっていた。「国民学校」になると、「アカイ アカイ アサヒ アカイ」になった(p.15)。何故、桜が引っ込んで朝日が上ってきたのか? 入江曜子*2『日本が「神の国」だった時代』によれば、この国民学校教科書は内地、台湾、朝鮮、満洲共通のものであり、「サクラ」が引っ込んだのは、先ず桜のない台湾、朝鮮、満洲への配慮だったという。さらに、「 アカイ アカイ アサヒ」は「大東亜共栄圏」全域に共通する「明るさ」「力強さ」といったイメージを喚起するものであり、また「日の丸の旗と関連させた国威発揚へ、さらには抽象的な「光」である天皇賛美へと発展していく伏線」でもあった(pp.15-16)。たしかに、桜では、(現在の)東南亜細亜に亙る「大東亜共栄圏」を統合できない。