理想・現実・虚構(大澤真幸)

不可能性の時代 (岩波新書)

不可能性の時代 (岩波新書)

大澤真幸『不可能性の時代』は、


現実は、常に、反現実を参照する。われわれにとって、現実は、意味づけられたコトやモノの秩序として立ち現れている。意味の秩序としての現実は、常に、その中心に現実ならざるものを、つまり反現実をもっている。すなわち、現実の中のさまざまな「意味」は、その反現実との関係で与えられる。「意味」の集合は、まさに同一の反現実と関係しているがゆえに、統一的な秩序を構成することができるのだ。(p.1)
というパラグラフから始まっている。

ところで、日本近代史の専門家キャロル・グラックによれば、第二次世界大戦終結してから六〇年以上も経過しているのに、なお「戦後」*1という時代区分が活きているのは、日本だけである。たとえば、同じ敗戦国であっても、ドイツやイタリアでは、「(第二次世界大)戦後」という一つの時代が持続しているという感覚は、失われている。それに対して、日本ではいまだに、「戦後」という区分が有効である。たとえば、安倍晋三が、首相として「戦後レジーム*2の解体」をスローガンに掲げたとき、その語が通じたのは、日本人の中にまだ「戦後を生きている」という感覚があるからだ*3
その戦後という一つの時代を、現実を意味づけている中心的な反現実のモードを規準にして眺めたとき、見田宗介によれば、その反現実のモードは、「理想→夢→虚構」と遷移してきた。すなわち、戦後は、さらに、「理想の時代」「夢の時代」「虚構の時代」の三つに内部区分できる、というのだ。見田がこのようなテーゼを打ち出したのは、戦後四五年目にあたる一九九〇年のことである。彼は、その四五年を三つに等分したとき、その一つひとつが、ちょうど、「理想の時代 一九四五―六〇年」「夢の時代 六〇―七五年」「虚構の時代 七五―九〇年」のそれぞれに対応している、と主張した(見田『社会学入門』*4)。(pp.1-2)
社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)


まず留意すべきは、「夢」というモードは、「理想」と「虚構」の両方に引き裂かれるような両義性をもっている、ということである。たとえば、「夢」という語は、「あなたの将来の夢」と言うときには、理想に近い意味をもち、「夢か幻か」と並置されるときには、虚構に近い意味をもつ。それゆえ、単純化し、時代区分のエッセンスをより鮮明なものとして浮き彫りにしようとすれば、中間にある「夢の時代」は両側の理想の時代と虚構の時代へと解消することができ、大きくは、理想の時代から虚構の時代への転換があった、と見ることができる。私は、それまでの戦後史の五〇年のちょうど中間にあたる一九七〇年に、この二つの時代の転換点を求めることができる、と述べた*5。その上で、私は、さらにその二五年後に起きた、地下鉄サリン事件に、虚構の時代の極限=終焉を見たのであった。(pp.2-3)