「熊」出現

中西進*1「化熊とは」『機』(藤原書店)358、p.25、2022


古事記』「序」の一節;


化熊出川
天劔獲於高倉
生尾遮径
大烏導於吉野
(化熊川より出で、天劔を高倉に獲、生尾径を遮り、大烏吉野に導く)
初代の天皇神武が九州から東上、大和の国を平定し切れないでいる間に、「化熊」が川から姿を現し、天からの劔は高倉という者が献上し、尾のある人間どもは道に溢れ、大ガラスが神武を吉野へと誘導した、というのである。
神武東征が終幕を迎え、ついに王を宣言すべき権威を次々と獲得する件りである。
輝かしい経緯なりに、文体も前後と違って当時流行の四六体を用いて高揚感を漂わせる。重要な語りだったと想像させる。
‘「化熊」は謎であるという。

ところが、その中で化熊とは何者か、それが川を出るとはいかなることか。とんと合点がいかない。
化熊というからには、化しき熊なのか、それとも何者かが化けた熊なのか。
わざわざ川というからには、目下川に住んでいるのだから、あの動物の、正常なあり方ではない。
古事記』本文について、三浦佑之『古事記神話入門』*2を参照してみると、「化熊出川」が起こったのは「熊野の村(和歌山県新宮市のあたり)」でのこと。

兄に死なれて独りになったイハレビコは、熊野の村(和歌山県新宮市のあたり)にたどり着く。そこに突然大きな熊が現れ、すぐに消えたかと思うと、イハレビコはにわかに病に襲われ、軍勢もみな倒れ伏してしまった。その時、熊野のタカクラジが一振りの太刀を持って、天つ神の御子(イハレビコ)のもとを訪れる。すると、イハレビコはたちまち目覚め、「長いあいだ、寝てしまったことよ」と言って起き上がる。しかも、その太刀を手に取っただけで、熊野の山の荒ぶる神はみな切り倒されてしまい、倒れていた軍勢もみな目覚めた。(後略)(pp.175-176)
三浦氏はこの件に関して、一切解説を加えてはいない。しかし、「熊野」という地名と関係がありそうだというのは、誰でも思い付くのではないだろうか。「熊野」だから「熊」が出てきたのか。それとも「熊」が出てきたから「熊野」なのか。