仏教によって

承前*1

島弘之「ビックリするような供養もあります」https://kasinoki1957.hatenablog.com/entry/2021/11/27/111209


様々な「供養」について。
アース製薬の「虫供養」が紹介されている。


アース製薬株式会社「兵庫県赤穂市の妙道寺「虫供養」にて社員が折った『千匹蚊』を奉納」https://corp.earth.jp/jp/event-report/2019/pdf/20191224-01.pdf
「実験動物へ感謝、恒例の「虫供養」」https://www.ako-minpo.jp/news/13409.html
坂本勝「殺虫効果UPへの協力に感謝 アース製薬が虫供養」https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201912/0012976838.shtml


生類にとどまらず道具類に至るまで「供養」の対象となるというのは、たしかに日本人の霊魂観の特性のひとつだといえるだろう。「日本仏教は、仏教が伝来する以前から日本人が持っていた霊的感受性と相まって、独自の発展を遂げたのです」。ただ、あらゆるものが「供養」の対象となるという霊魂観は寧ろ仏教によって育まれたと考えるべきなのではないか。古代の日本人が万物が生きているというアニミズム的な世界観を持っていた可能性は高いにしても、それらを「供養」の対象とは考えてはいなかったのでは? 古代の日本人にとって、死とか死人というのは、『古事記』のイザナミ/イザナキの物語に示されているように、端的に穢れやカオスであり、それは祓うべきも、シャット・アウトすべき、ものだったわけだ(Cf. 三浦佑之『古事記神話入門』*2)。『古事記』から「供養」という発想は出てこないように思われる。また、京都の化野念仏寺*3風葬のために野ざらしにされていた遺骸を空海が埋葬したのがはじまり*4。ここら辺から、死人はたんに穢れとして遠ざけるべきものではなくなっていく。これが後の「供養」へと繋がっていく。