「政子」以前

北条政子*1を巡る小島道裕氏のツィート;


『鎌倉殿の13人』だけど、「頼朝様」という実名言及も出てきた。
2006年に上梓された坂田聡『苗字と名前の歴史』*2に曰く、

さて今年の大河ドラマは、ご存知のとおり「義経」である。タッキーこと滝沢秀明が演じる源義経はなかなかに凛々しく、そこでもつい、「義経はこんなに美男子ではなかったはずだ」なとど余計なことを言いたくなってしまうが、このドラマは、近年の歴史学の成果をそれなりに踏まえた時代考証もなされている。そのことを認めた上で、「揚げ足取り」ついでに本書の内容ともかかわる問題点を一つだけあげるとすれば、それは実名の問題である。
義経」を見ていると、「清盛さま」とか「頼朝さま」とか「義経どの」とか「秀衡さま」とかいった実名呼称が、ごく当たり前のようになされている。確かに、清盛のことを「六波羅さま」「入道相国」と呼んだり、頼朝のことを「介どの」*3「鎌倉どの」と呼んだり、義経のことを「九郎どの」「御曹司」と呼んだり、秀衡のことを「御館」*4と呼んだりするケースもけっこうあるが、私の印象では実名で呼ぶケースの方がどちらかというと多いように思う。(pp.186-187)
「実名」で呼ばないこと。坂田氏によれば、かつて民法学者の穂積陳重が『実名敬避俗研究』で論じた「本名忌避の習俗」に関係しているという(pp.188-189)。

日本の中世社会の場合、実際にはさまざまな字や法名があり、それが本人を同定する役割をはたしていたので、本名にあたる姓や実名が口にされなくてもさほど困らなかったと思われる。いずれにしろ、本名は重要な名前なので他人による使用が禁止されるのか、はたまた使用禁止だからこそ重要性が増すのかといった、「卵が先か、鶏が先か」的な議論はとりあえずおいても、中世において他人のことを「清盛さま」とか「義経どの」とか実名で呼ぶことはあまりなかったとする本書の見解は(略)本名忌避の習俗の中に位置づけることで、はじめて了解することができるのではなかろうか。(pp.189-190)
「本名忌避」が現代でも生きているのは天皇に関してだろうか。メディアで天皇の実名が言及されることは殆どなく、善良な日本国民には天皇の実名を知らない人も少なくないのではないだろうか。実際、天皇の実名を、例えば裕仁とか徳仁というふうに、公的に言及しているのは殆どの場合、反天皇制の左翼である。