柳家小三治

『スポーツ報知』の記事;


落語家の人間国宝柳家小三治さんが7日に心不全で死去、81歳
10/10(日) 13:47配信


スポーツ報知

 落語家・柳家小三治(本名・郡山剛蔵=こおりやま・たけぞう)さん*1が7日、心不全のため亡くなっていたことが10日、分かった。81歳だった。2014年に落語家としては師匠の5代目・柳家小さん、上方の桂米朝に続く3人目の人間国宝の認定を受け、15年の米朝亡き後は唯一の存在として、“名人芸”を披露していた小三治さんが天国へと旅立った。

 小三治さんは、高校卒業後の1959年に5代目・柳家小さんに入門し「小たけ」を名乗る。天才肌で早くから頭角を現し、63年に二ツ目に昇進し「さん治」。二ツ目時代からテレビ番組のレギュラーを持つ売れっ子となり、69年に17人抜きの抜てきで真打ちに昇進し10代目・柳家小三治を襲名した。その後は落語中心の活動となり、寄席や独演会で活躍。「チケットの取れない落語家」の元祖とも言える存在だった。

 滑稽噺を中心に柳派の正統派としての評価を受ける一方で、ひょうひょうと自身の経験談などを語る「まくら」が注目を集めた。まくらをまとめた本が出版されるなど、幅広い活躍を見せた。

 2010年からは落語協会の会長を2期4年務めた。春風亭一之輔古今亭文菊ら有望な若手を抜てきして真打ちに昇進させるなど、落語界の活性化に力を注いだ。

 また、オートバイ、オーディオ、スキーなど多彩な趣味を持ち、専門家顔負けの知識量を誇った。

 晩年は病気と戦う日々だった。長年、リウマチを患い、17年には頸椎(けいつい)を手術。21年には腎機能の治療のため入院したが、復帰。病院を一時退院し落語会を行うことも数知れず。それでも高座に上がることにこだわり続けた。

 昭和、平成、令和と時代を越えて活躍し続けた小三治さん。落語に向き合い生涯をささげた名人が、人生の幕を下ろした。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0bfa418e895e52c6f433993a0ee4ef4af0103f6a

古今亭志ん朝*2とは略同年代だったんだな(1歳年上)。
立川談慶 師匠*3小三治と談志について語る;

突然の訃報に接し、ただただ驚いています。思えば師匠談志とは同じ小さん門下の好敵手同士でした。談志は心底「小三治」という名前を継ぎたかったとはあらゆる方面から聞いていました。ゆえに小三治師匠は弟弟子とはいえ嫉妬も含めたマイナスの感情の対象であったはずです。芸風では完全に真逆でした。小三治師匠は天性のフラ(持ち前のおかしみ)で笑わせるタイプでしたが、そっちでは敵わないと判断した談志は落語の理論化に舵を切りました。つまり、談志の方向性を規定してくれた志ん朝師匠に並ぶお一人こそ小三治師匠だったのです。いまは、お互い恩讐を超えて天国で大好きな小さん師匠のもと仲良くやっているのだろうと思います。小三治師匠、お疲れ様でした。学生時代に池袋演芸場で観た「付き馬」、そして「藪入り」は絶品でした。ありがとうございました。涙が止まりません。安らかにお眠りください。合掌。
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