「社会的費用」ということ

永江朗*1「なつかしい一冊 宇沢弘文著『自動車の社会的費用』」『毎日新聞』2021年1月16日


曰く、


[この本*2を]はじめて読んだのは20歳の夏だった。アルバイト先の先輩から強くすすめられたのだ。徹夜して読んで、こういう考え方があるのかと驚いた。ものの見方が変わる快感で嬉しくなると同時に、世の中のひどさに気づいて腹が立った。
難しい経済学の話も出てくるが、書かれていることはシンプルだ。自動車に必要な費用は車両代とガソリン代だけではない。道路をつくって維持するのにもお金がかかっているし、交通事故や大気汚染などの郊外、環境破壊などで失われるものも多い。ところがそれらの費用のほとんどは、自動車の持ち主ではなく第三者が負担している。大雑把にいうと、こういうことだ。

『自動車の社会的費用』という書名ではあるが、さまざまなものに応用可能だ。10年前に東京電力福島第1原発が事故を起こしたときも、ぼくはこの本を思い出した。首都圏で使う電力なのに、原発は地価が安くて人口の少ない東北の福島に押しつけられた。地震が起きて津波が来て、原発の社会的費用は天文学的な金額になることが明らかになった。
便利そうなもの、魅力的に見えるものは、社会的費用という観点でよく吟味する必要がある。リニア新幹線の社会的費用とか、オリンピックの社会的費用とか。怪しいものはたくさんある。