He does not know what efficiency is, I think.

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-cea6.html


植草一秀*1地球温暖化論やゴミの分別をdisる。それに対する反批判として、


http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20091228/1262004535
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20091229/1262044331
http://d.hatena.ne.jp/buhikun/20091228/1262016097


たしかに、あまりにパラノイア的なゴミ分別はどうかと思うけど、資源リサイクルの意義を否定することはできないだろう。また、地球温暖化論は原子力関係の利権を持つ者の陰謀という論。(米国の短篇小説家とは無関係な)Oh, Henry*2とは違って、「ユダヤ」ということを言わないのはまだか細いながら〈良心〉が生き残っているからなのかも知れないが、植草の陰謀理論というスパイスを過剰に塗した論はほんとうにうざい。地球温暖化論と原発との関連で言えば、原発関係者は自らの正当性をアピールするためには何でも動員するので、偶々地球温暖化論に便乗しましたという感じではないか。それから、植草は地球温暖化論が自動車産業に「利権」をもたらしたと言っている。たしかに、「エコカー減税」とかは胡散臭い。しかし、地球温暖化論、それに対応した新技術の開発が自動車産業の世界的な再編の賭け金のひとつになっていることは、別に経済の専門家じゃなくても、新聞の経済欄とかを読んでいる人にとっては、常識になっているのかと思った。つまり、新技術開発のための資本力や研究開発力が劣るメーカーは市場からの淘汰という危機に直面している。
さて、古寺多見さんは、植草が「環境問題を経済効率の観点からしか捉えることのできない劣化版新自由主義者」だと言っている*3。しかし、「経済効率」がわかっているのかどうかも怪しいと思う。CO2排出削減というのは、製造業にとっては生産工程の効率化を意味し、消費者にとっては自動車の燃費の向上や家電製品の電力消費の効率化を意味するからだ。また、CO2排出削減という目標を提示することによって、技術革新を巡る競争を活性化させるという効果はいうまでもない*4
それから、植草は「外部不経済」や「社会的費用」を巡って、庄司光、宮本憲一『日本の公害』や宇沢弘文『自動車の社会的費用』は読んでいないのか。年代からいって、彼は東京大学在学中に宇沢の講義を聞いている筈なのだが。それから、「安全性」を巡る古典的な議論として、武谷三男の『安全性の考え方』をマークしておく。

日本の公害 (岩波新書 青版 941)

日本の公害 (岩波新書 青版 941)

自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)

自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)