正規分布効果

磯貝健人「なぜ何もかもうまくいかない? わたしは「境界知能」でした」https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210730/k10013164861000.html


「境界知能」について。


知能指数(=IQ)は、一般にIQ85-115が「平均的」とされています。

おおむね70以下は、「知的障害」の可能性が考えられる範囲です。
(※「知的障害」の基準は、自治体によって異なります)

その境い目にあたるのが、「境界知能」と呼ばれる領域です。

その数は、統計学上は人口の約14%、1,700万人に上るとされています。

統計学上は人口の約14%、1,700万人に上る」というのに軽く吃驚するけど、知能指数のグラフは正規分布なので、そういうものなんだ、と納得するしかない。
この記事にコメントを寄せている児童精神医学者の宮口幸治氏は別のインタヴューで以下のように述べている;

現在、知的障害とされるのは、「IQ(知能指数)70未満」とされていますが、1950年代の一時期、これが「85未満」とされていた時期があります。ただ、IQ85未満の人は人口の16%くらいいて、「あまりにも多すぎる」ということで、現在のように「IQ70未満を知的障害とする」ということになりました。このIQ70未満の人はだいたい人口の2%くらいなのですが、IQ70~84に相当する残り14%の人は変わらず存在します。彼らが「境界知能」と呼ばれる人々です。
 現在の定義では、彼らは「知的障害」ではない。したがって、支援が必要な人々だとは見なされない。しかし、現代の社会生活を営むには、IQ100はないとしんどいとされていますから、実際の社会生活ではさまざまな困難に直面します。にもかかわらず、放っておかれるわけです。なので、『ケーキの切れない非行少年たち』の中では、境界知能の人々を「忘れられた人々」と表現しました。
(横手大輔「非行少年たちはなぜケーキを3等分にできないのか “認知機能”に問題を抱えた子どもたちの実態」https://www.bookbang.jp/article/590431
「知的障害」の定義は社会的或いは政策的な都合に左右されている。「85未満」だとあまりに多くなってしまうので、「70未満」に落ち着いた。「現代の社会生活を営むには、IQ100はないとしんどいとされて」いるということで、定義を100未満にずらしたらどうなのだろうか。
ところで、「現代の社会生活を営むには、IQ100はないとしんどい」ということと逆のことを考えた。社会的に共有された技術によって、知能が特別に高くない普通の人でも高度な知的作業をこなすことができるようになるのではないか。ここでいう技術とは、算盤や計算尺やコンピュータといったハードウェア的なものだけでなく、記号や文字、さらには概念のようなソフトウェア的なものも含む。例えば、無文字社会において計算は全て暗算であり、複雑な計算ができるのは記憶力などで特別な資質のある人に限られるだろう。複雑な計算ができる人が魔法使いとして畏怖されるということがあっても驚くには当たらない。他方、数字とりわけアラビア数字がある社会では殆ど誰もが筆算することができる。天才じゃなくても計算ができるようになるのだ。
ところで、「境界知能」は自分にとっても他人事ではないと思った。NHKの記事の方に戻ると、「字の習得が苦手な子ども場合、なぜ苦手なのかを分析すると、目で見たものの形を捉え、書き写す力が弱いからではないかと考えられています」という宮口氏の見解がある。字を覚えること自体は「苦手」ではなかったけれど、子どもの頃から一貫して字が汚いと罵倒され続けてきた。また、「目で見たものの形を捉え、書き写す」こと、つまり写実的に絵を描くことは苦手だ。