「何も信じていないから何でも信じる」(ハンナ・アレント)

海老原由紀「國分功一郎さんインタビュー『原子力時代における哲学』に書かれた本質的な危機」https://book.asahi.com/jinbun/article/12888926


國分功一郎原子力時代における哲学』*1を巡って。
この本で中心的に考察されているらしいハイデガーではなくてハンナ・アレント絡みの発言を切り取っておく*2


――話を本に戻します。この本を読んで、あらためて思ったのは「時間がたつと見えてくることがある」ということです。福島の原発事故で日本という国の底が抜けていたことが明らかになりました。その後もいろいろな分野で、この国の底が抜けている現実を見せられ続けています。大学受験の英語の民間試験導入をめぐる混乱ぶりもひどいものでした。


 例えば、森友学園問題は大変な問題でした。権力者の知人が国有地を有利な条件で購入し、官僚が公的文書を改ざんしていることも明らかになりました。かなり深刻な事態です。でも、みんな、怒りませんでした。なぜでしょう?それは、やっぱり、みんなの中に確信がないから、これだけは譲れないというものをもっていないからです。ハンナ・アーレントは『全体主義の起源*3の中で、全体主義を用意した大衆社会における大衆は、「何も信じていないから何でも信じる」と言っています。これはワイマール期のドイツを分析した言葉ですが、しかし、驚くほど現代の日本に当てはまるのではないでしょうか。では、どうすれば我々は何かを信じることができるようになるのか。いま、すごくそのことを考えています。

 原発事故は私たちが何かを信じるものを獲得することの必要をも教えていたように思います。しかし最近ではあまり話題にならなくなってしまいました。これだけの時間がたってからこの本を出したことに積極的な理由があるとすれば、それは、もう一度改めて原発について問題提起したかったということです。哲学者のニーチェに『反時代的考察』というタイトルの、同時代のドイツ文化を批判した本があります。「反時代的」というと反抗的で聞こえがいいわけですが、もともとのドイツ語のUnzeitgemäßeという言葉は、「時流に乗れていない」とか「時機を逸した」という意味なんですね。タイミングを逃すということも実は考える上では大切なのだと思います。

The Origins of Totalitarianism (Harvest Book, Hb244)

The Origins of Totalitarianism (Harvest Book, Hb244)


――いまの社会は「同調」を強いる空気が広がっています。自分の意見を言うことがますます難しくなっているように思います。

 人と違ったこと、自分の意見を言うことに抵抗感を感じるのは、みんな、同じです。公の場で言うとなればなおさらでしょう。僕も新聞に文章を書いたり、本を出したりするときは緊張します。何を言われるかわかりませんから。でも、問題はいま人が意見を持ち得ているかということだと思います。

――ネットでは匿名でいろいろな意見が書きこまれています。

 ネットにあるのは意見というより反応のように思います。何か自分の信じているものに根拠を置いていない。そして、今の時代、何かを信じることは極めて困難になっている。

――なぜでしょうか?

 先に名前を挙げたハンナ・アーレントは「大衆社会とは部分社会がない社会である」と述べました。中間団体がないと言ってもよいでしょう。アーレントは具体的には階級の崩壊した社会のことを考えています。階級はその階級に属する人びとに一定の強固な価値観を植え付けます。ブルジョアブルジョアの価値観を、労働者は労働者の価値観を身につける。それぞれの信じるところに従って意見が出てきて対立がうまれ、それが政治的に扱われることになる。アーレントはそれが正常な政治のあり方と考えていました。ところが、大衆社会ではそのような価値観が生み出されない。大衆はいかなる利害でも結びついていないし、いかなる信念もない。だからそもそも説得する必要もない。説得するためには相手が意見を持っていないといけないからです。このような社会ではプロパガンダや情報操作が圧倒的な威力を持つことになります。