イキモノガタリ

豊崎由美*1いきものがかりカープがかり」『波』(新潮社)617、pp.32-33、2021


小山田浩子*2『小島』を巡って。


小山田浩子のことを日本文学界の「いきものがかり」だと思っている。(略)小説家の大半は「にんげんがかり」で、小説の多くは人間だけを中心とした世界を描こうとしているのだけれど、小山田浩子はちがうのだ。植物を含めた生き物全体の係なのである。デビュー作「工場」からしてそうだった。
山や森や河や海や大きな橋があり、住宅街も神社もあり、遊興施設や飲食店も揃っているようなひとつの街のごとく広い敷地を有するものの、いったい何を作っているのか杳として知れない工場を舞台にしたこの小説には、その土地の固有種であるウや洗剤や糸くずなどを食べている洗濯機トカゲ、体長が二メートルを超える個体もいると噂される灰色ヌートリアなど、けったいな生きものが生息。主要登場人物の一人に工場から与えられた仕事が、敷地内のコケの観察だったりするのだ。(p.32)

第一五〇回芥川賞受賞作「穴」は、夫の転勤にあたって先方の実家のあいている借家に引っ越した三十歳の女性が、見たことのない黒い獣のあとを追いかけ、川べりにあいていた穴に落ちてしまってからの怪異を描出。人界と異界を接続する現代版泉鏡花というべき作品になっている。
日常が非日常にスルッと地滑りしていく感覚が鳥肌ものの十五作を収録した短篇集『庭』に至っては、ほとんどの作品がいきものがかり状態といっていい。蟹が産卵にやってくる女子高に通っていた〈私〉の物語「蟹」、動物園に流れる時間を、二組の家族と飼育員の声を重ねることで立体的に描き出す「動物園の迷子」、子供ができないことに負い目を感じている〈私〉が、夫の実家近くの温泉場で聞いた老女二人の会話をきっかけに仔犬を飼うことになる「名犬」などなど。小山田浩子のいきもの愛が横溢する一冊だったのである。(ibid.)
短篇集『小島』においては、「数えてみたら収録十四作品中十一作品において、いきものが重要な役割を果たしている」(p.33)。

(前略)この短篇集には小山田の”好き”と、幻視者たる小山田にしか見えない光景としての”今ここにある危機”が描かれて、在る。不穏と恐れと乾いた笑いが、在る。デビュー作からずっと在り、未来永劫在り続ける。(ibid.)
ところで、バンドの「いきものがかり*3だけど、かなり長い間、イキモノガタリだと思っていた。死に物語の反対なのか?
『ことり』*4や『ブラフマンの埋葬』*5小川洋子さんは「いきものがかり」?