キュリーと殖民地的言語

川上弘美*1ポーランド 2019年秋」『本の窓』(小学館)399、pp.16-27、2020


科学者、マリー・キュリーを巡って;


伝記の中で印象に残っている場面は、まだ大学に行く前のマリーが、こっそり子どもたちにポーランド語を教えるところだった。当時ポーランドロシア帝国の統治下にあり、公用語はロシア語だった。「ポーランド」という国は解体されており、もともとの母語であるポーランド語は学校では教えられていなかった、ということをわたしが知るのは、後年のことだ。小学生だったわたしは、なぜポーランドなのに、ポーランド語をわざわざ隠れて教えなければならないのだろうと、首をひねるばかりだったのだ。
たとえば、台湾の、あるいは中国の、また韓国の、ある地域と年代のひとびとが、今のわたしたちよりずっと美しい日本語を使うことができる、ということを知るのも、後年のことだ。統治下の国に対して、その国の言語ではなく統治国の言語を公用語とする、というありかたを、第二次世界大戦後の日本に生まれ育ったわたしは、想像することもできなかったのである。(p.17)