何故東西線じゃなかったのか、とか

水声 (文春文庫)

水声 (文春文庫)

川上弘美*1『水声』から;


この家に二人で戻ってきた1996年の前年、陵は通勤途中に地下鉄サリン事件に遭遇する。
当時千駄木のマンションに住んでいた陵は、七時四十分少し過ぎにマンションを出、ゆっくりゆけば十三分ほどかかる道を、足早に歩いて十分で駅に着いた。階段を駆け降り、改札を抜けた。早足のために、背中には汗をかいていた。こめかみにも。前の週末の金曜日がいやに暖かな日で、週あけにはもうコートはいらないかと思っていたら、また少し冷え込んだので、スーツの上にレインコートをはおっていた。
ホームに出たところで時計を見ると、一本早い地下鉄に乗れそうだった。混雑を避けるためホームを綾瀬寄りへと歩き、いつもとは違うドアから乗車した。地下鉄は混んでいたが、身動きできないというほどではなかった。大手町を過ぎたあたりで、何やら不思議な胸騒ぎがした。すぐにおさまったので、小さくたたんで読んでいた新聞にふたたび目をとおした。二重橋前を過ぎ、日比谷に着くころ、またほんの少しだけ胸騒ぎがした。
霞ケ関で降り、階段をのぼろうとすると、声がきこえた。ざわざわとした気配が伝わってくる。飛びこみだろうかと思ったが、一瞬振り向いただけで、階段をのぼりはじめた。車両はなかなか発車しなかった。そのうちに構内放送がかかった。やはり事故だと思った。そのまま日比谷線に乗りかえ、会社のある六本木まで行った。
始業の八時半になるころには、いくつかの地下鉄の駅で何らかの事件が同時多発で起こったことが明らかになっていた。陵の勤める社員六十人ほどの商事会社は、ビルのワンフロアを占めている。朝から会社全体が、なんとなく浮足立っていた。日比谷線が運転を取り止めたというニュースは、午前の早い時間にフロアじゅうをかけめぐった。
陵はガスを吸わなかった。もしも千駄木で思いつきのようにホームを綾瀬寄りへと移動しなければ、おそらく陵は霞ケ関駅の乗換階段にもっとも近い、サリンのまかれた一番前の車両に乗っていたにちがいなかった。車両が二つほど離れていたから、陵はダメージを受けずにすんだのだ。構内放送がかかる少し前、階段に足をかける刹那に振り向いたあたりにいた誰かが、もしかするとあの後死んだのかもしれない。それを思うと、頭の中に黒い煙幕がうっすらと広がってゆくような気持になるんだ。陵はときおりぽつりと、そんなことを言う。
一緒に住もう。
陵が言ったのは、サリン事件のあった年のクリスマスだった。(pp.21-23)
地下鉄サリン事件の日、東西線に乗っていた。(「陵」のように)千代田線に乗っていたり、或いは日比谷線丸ノ内線を使っていたら、事件に遭遇して、今頃生きていないという可能性もあった。あの日、東西線茅場町の手前で異様に長く立往生していたという記憶がある。茅場町日比谷線への乗換駅だ。何か変だぞと思いながら、九段下で降りて、職場に向かったのだった。麻原彰晃を初めとする、地下鉄サリン事件に関与したオウム真理教の幹部連は、周知のように昨年刑場の露と消え、新たな輪廻に向かって解き放たれた*2。実は、もし麻原などに会えたら、何故東西線には手を出さなかったのかを訊きたいと思っていた。
さて、(ネタバレかも知れないけれど)『水声』は「わたし」(「都」)とその弟「陵」との近親相姦ラヴ・ストーリーでもある。「わたし」と「陵」との濡れ場はここ数年間に読んだ中で、最もエロい文章だった(p.193ff.)。川上弘美がエロティックな文に長けているということは勿論なのだけど、世に流通するポルノ小説の類を読んで、エロいと思うことは(昔はともかくとして)今はない。ポルノ小説のことを遠回しに(?)官能小説と呼ぶ。官能を刺戟しない官能小説って何なんだと思う。