悲観と楽観

Via https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2020/08/09/105050

忽那賢志*1「新型コロナが弱毒化しているという根拠はない」https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20200726-00189953/


今のところ、「新型コロナが弱毒化している」ように見えるのは見かけ上のことでしかない。感染と重症化のタイム・ラグ、また重症化を防ぐ対処療法が確立してきているというのはたしかにそうなのだけど、最も重要なのは、いまだ不十分だとはいっても、PCR検査数が増えてきており、そのため、軽症者や無症状者も含めて広範な感染者が捕捉されるようになってきているということだろう。連日3桁の新規感染者を見て、その数字に圧倒されてしまうという人もいるようだけど、それもPCR検査数(分母)が大きくなったのだから、その分、分子(感染者)も大きくなったと考えるのが自然だろう。既に3月や4月頃の厳選された新型コロナウィルス感染者ではないので、その中に軽症者や無症状者の混ざっている確率が高くなるということも自然。何が言いたいのかといえば、極端な悲観主義者も楽観主義者も数字に幻惑されているのではないかということだ。
ところで、id:Jiyuuniiwasateのような楽観主義者というか「弱毒化」主義者が根拠として持ち出すのは進化論的な原則だ。確かに、エボラ*2のように高い確率で宿主を殺してしまうウィルスはローカルなエピデミックにとどまりなかなかパンデミックに至ることはできないだろう。(「れいわ」の大将とは同名異人である*3山本太郎氏の『感染症と文明』の中で、インフルエンザ・ウィルスやコロナウィルスのような飛沫感染によって増殖していくウィルスの場合、宿主が宿主が自由に移動できるということは増殖にとって決定的に重要なことだということが述べられている。重症化して、寝込んでしまって外出もできなくなれば、ウィルスが拡散する可能性はきわめて低くなる。だとすると、新型コロナウィルスが将来弱毒化していくというか、弱毒のウィルスが生き残っていく可能性は高いといえる。ただ山本氏は別の可能性も示唆している。HIVの弱毒化を巡る条件。セイフ・セックスを実行していたグループと何の防御もなくやりまくっていたグループを比較した場合、長期的にはどちらでもウィルスの弱毒化が見られたけれど、短期的には、無防備なグループでは毒の強いウィルスが主流だった。つまり、宿主が死んでしまっても新しい寄生先が次々に出現するような状況では弱毒化は促されない。究極的には弱毒化するのだろうけど、それに至るまでの進化論的時間がちょっとぴんと来ないのだ。

感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

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まあ、COVID-19の軽症化はウィルスの変異を持ち出すよりも、PCR検査数の増加を参照した方が簡単に説明できる。これに限らず、コロナ関係の統計数字を見て思い出すのは犯罪統計だね。犯罪統計というのは犯罪行為(違法行為)の頻度をそのまま反映しているわけではない。それよりも警察や検察などの社会統制機関の能力ややる気(コミットメント)に影響されている。捜査能力が低ければ、立件され・摘発される犯罪は少なくなるだろう。また、捜査・取締り機関のやる気(コミットメント)が高くなれば、それまでは見逃されていた軽微な違法行為も犯罪として立件・摘発されるようになるので、犯罪者全体の中での兇悪犯の割合は減る。