ヘヴィ・メタルを聴く「ヤンキー」

フミコフミオ*1「「この町にイオンが出来るんだぜ!」とヤンキーは言った。」https://delete-all.hatenablog.com/entry/2017/12/07/190000


熊代亨akaシロクマ先生の「朝のイオンとストロングゼロ*2でリファーされていた。


海沿いにあるコンビニエンスストアの駐車場で懐かしい顔を見かけた。軽自動車から出てきたそいつは中学時代のクラスメイトで「不良」に分類されるタイプの人間だった。シンナーもタバコもやらなかったわりに僕はヤニそいつと仲が良く、アイアン・メイデンモトリー・クルーブラック・サバスメタリカ、そいつがセレクトしたヘビーメタルばかりを入れたソニー製のカセットテープ(通称「メタルカセット」)を貰ったりもした。決して友人ではなかった。そいつからはゲンコツやビンタや強烈なデコピンを食らってヘコヘコしていたので、僕にはそいつの配下になった気はないが、そいつは僕のことを子分の1人と考えていたのは間違いない。心外だが仕方ない。僕と子分1号2号の違いに気づく人はいなかったのだから。
これは1980年代の末期というか昭和から平成にかけての話の用なのだけれど、ヘヴィ・メタルと「ヤンキー」という組み合わせがちょっと意外だった。別に「ヤンキー」はヘヴィメタ聴くなと言いたいわけではないのだけど、私の頭の中でヘヴィ・メタルと「ヤンキー」というのはどうもうまくフィットしないのだった。私の印象だと、1980年代のヘヴィ・メタル・ファンというのは、そのヘア・スタイルにおいて反時代的な人たちだった。1980年代、私たちはパンクやテクノの影響で髪の毛を短くした。ヘヴィ・メタルな人たちは、そういう風潮に逆らって、1960年代以来の長髪を堅持していた。因みに、長髪がロン毛ということで復権するのは平成に入って何年かしてからだったと思う。サッカーの北澤豪とか。まあ1980年代半ば以降までは「ヤンキー」というのは関西弁にすぎす、関東では主にツッパリと呼ばれていたのだけど、1970年代だと、一般のロック・ファンと「ヤンキー」(ツッパリ)はヘア・スタイルと音楽の趣味において区別されていたと思う。ヘア・スタイルにおいては長髪とリーゼント。ツッパリ系の人たちが好んだ音楽はキャロルとかクールス。1950年代のオールディーズのロックンロールをベースにしたような音楽。1980年代においては、一方では横浜銀蝿のようなメタ・ヤンキー(?)のグループが出現し、他方では矢沢永吉が西海岸スタイルに転向してしまうということが起きている。1970年代、特にその後半に流行った音楽で、(私を含めて)黒歴史として封印してしまいたいという欲望を持っている人も少なくないもの。所謂ディスコ。ここでいうディスコというのは、ダンスをするハコとそこで流れていた音楽という二重の意味があるのだけど、これもどちらかと言えば「ヤンキー」(ツッパリ)文化に属していたのでは? また、ディスコにしてもオールディーズのロックンロールにしても、日本だけの(日本発の)文化ではなかった。ジョン・トラヴォルタ*3は『サタデー・ナイト・フィーヴァー』でディスコを広め、『グリース』でオールディーズを広めたのだった。これは1960年代的な対抗文化への反動だったと乱暴に言ってしまうことも可能ではあろう。
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  • 発売日: 2006/09/08
  • メディア: DVD