80年代には


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嘉門達夫(現・嘉門タツオ)の「ヤンキーの兄ちゃんのうた」が1983年7月に発売され…と言っても、当時は自主制作盤として200枚がプレスされただけだったそうですが、これが有線放送やラジオの一部の深夜番組で面白がられたことが、現在の意味の「ヤンキー」が関西弁から全国で通じる言葉になったきっかけだったそうです。

ちなみに、東京では、当時TBSラジオの深夜24時〜25時の「日産ミッドナイトステーション」枠で放送されていた「そこのけ電リク!ザ・ベスト10」の火曜日担当だった小森まなみさんが、この曲を大変気に入り、番組内で毎週ランクインして流れていました。私が毎週聴いていた番組ですので間違いありません。

私も「ヤンキー」という言葉を知ったのは嘉門達夫の歌だったのですが、知ったのは1983年ではなく、数年遅かったような気がします。
1980年代には、『湘南暴走族』、『ビー・バップ・ハイスクール』、『スケバン刑事』といった〈ヤンキー漫画〉があったけれど、当時、これらは〈ヤンキー漫画〉とは呼ばれていなかった。髪の毛をリーゼントにしていきっている若者のことは、1980年代のうちはまだ(少なくとも関東では)「ツッパリ」と呼ぶのが一般的だったような気がします。「ヤンキー」が主流になるのは平成になってから?
嘉門達夫以前に登場した関西の不良文化といえは、島田紳助松本竜介が主演した井筒和幸の『ガキ帝国』(1981年)*1。この映画で「 ヤンキー」という言葉が使われた記憶はない。時代設定は、大阪万博を3年後に控えた1960年代だったけれど。井筒和幸の映画ということだと、『パッチギ!*2は『ガキ帝国』の1年後の世界ということになる。