船橋の川端康成(メモ)

川端康成が見た船橋」『新京成CiaO』(新京成電鉄)147、p.8、2019


少しメモ。


伊豆の踊子』の発表から7年余り経った昭和8~10年頃、30代半ばの川端*1は、執筆のために何度も船橋に足を運びました。目的地は「三田浜楽園」です。
「三田浜楽園」は、「三田浜塩田」の跡地に作られた遊園地や旅館を有する行楽地です。野球場や動物園があったほか、海水浴や魚釣りもでき、多くの人々でにぎわいを見せていました。川端は「割烹旅館三田浜楽園」の奥まった一室に泊まり、『童謡』をはじめとする何編かの小説を執筆したといわれています。
昭和10年に雑誌『改造』に発表された『童謡』は、海辺の町の旅館を舞台に、旅館に泊まって絵を描いている日本画家・滝野と、見習い芸者・金弥の姿を描いた短編小説です。作中に旅館の名称は明記されていませんが、「廊下の長さが三町もある」や「部屋の裏側にあたる遊園地」などという風景描写から、「割烹旅館三田浜楽園」が作品の舞台であったとされています。
伊豆の踊子 (新潮文庫)

伊豆の踊子 (新潮文庫)

  • 作者:川端 康成
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/05/05
  • メディア: 文庫
See also


「三田浜塩田 発祥の地」https://840.gnpp.jp/mitahamaenden/
「ぶらり一人ウオーク 川端康成ゆかりの船橋「三田浜楽園跡」を訪ねて (4/8)」https://blog.goo.ne.jp/ntt00012/e/bccdc39557c1079f9d7476ff65779448
「「三田浜楽園」閉鎖?」https://plaza.rakuten.co.jp/playboy69/diary/200603280000/


船橋市役所の近く。この辺りに、かつての行楽地の面影を見たことはない。「割烹旅館三田浜楽園」はその後も営業を続けていたが、2006年に閉館し、その跡地は現在タワー・マンションになっている。また、近くに「玉川旅館」が現存するが、こちらの方は太宰治所縁の旅館。