小牧/成瀬(メモ)

小田切秀雄*1「豊熟する大正文学」『ゆりかもめ』(東京都生活文化局コミュニティ文化部)52、pp.8-10、1995


曰く、


小牧近江は、武者小路実篤が『白樺』に連載中の『或る青年の夢』(一九一六年三月―十一月)の一部分を、フランス語に訳してロマン・ロランに送り、たいへんに喜ばれたという。『魅せられた魂』に深く感動していたパリ日本大使館勤めの青年・小牧は、ロランが第一次大戦化に公然と反戦を主張し、スイスに亡命せざるをえなくなっていたことについても心配していた。たまたま読んだ故国の雑誌の武者小路の連載が反戦戯曲だったので、それを一部分訳出して送ったのである。lこの『或る青年の夢』は、観念においての葛藤を中心とするレーゼ・ドラマ(上演を予想しないでもっぱら読むための戯曲として書かれたもの)であるために、武者小路の愛読者からは関心を向けられていないが、『白樺』派の底流として存在した社会的自覚と批判性とを、最も鋭い形で示しているだけでなく、武者小路の青年時代に明瞭だった反戦平和の意志が最も生々しい形で示されている。この連載後まもなく、かれの空想的社会主義の実現の試みが「新しき村」の活動として開始される。
なお、最近、芥川龍之介研究者として知られている関口安義の『評伝・成瀬正一』(日本エディタースクール出版部刊)で明らかにされたことだが、芥川の若いころの文学仲間だった成瀬が、やはり『魅せられた魂』の英訳本を読んで強く感動し、ロランのものを漁り、その『トルストイ』を芥川らと訳出、またもなくフランス語でロランとの文通がはじまる。かれの手紙が幾通も、ロランの日記の中にそのまま写し取られていて、いまそれを読むことができる(みすず書房刊、翻訳によるロラン全集「日記」の巻に訳文あり)。芥川らとの同人誌『新思潮』にたびたびロランのことがでてくるのは、こうした成瀬の存在のゆえである。かれは小説も少し書いたが、評論・研究が主で、学者の道を選び九州帝大の教授になってしまった。先の小牧近江は、日本に帰ってから外務省に勤めながら、日本プロレタリア文学の最初の雑誌となった『種蒔く人』(一九二一年―二三年)を金子洋文らの協力を得て創刊した。大正文学は、このプロレタリア文学と、横光利一川端康成らの新感覚派以来のモダニズム文学とによって、昭和文学に移行する。(pp.8-9)
武者小路実篤と「新しき村」を巡っては、前田速夫『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』*2をマークしておく。
「新しき村」の百年  <愚者の園>の真実 (新潮新書)

「新しき村」の百年 <愚者の園>の真実 (新潮新書)

また、

大正九年末、日本社会主義同盟が結成された時、文学者からは小川未明秋田雨雀、江口渙、藤森成吉らが参加した。その翌年には前掲の小牧近江によって最初のプロレタリア文学雑誌『種蒔く人』が創刊され、大正一二年にはプロレタリア文学の最初の傑作で昭和文学の代表作の一つである葉山嘉樹の長編小説『海に生くる人々』(いま岩波文庫等)が完成している。対象社会の発展の背後に中国への侵略の拡大があったことをはじめとして、プロレタリア文学は大正社会と大正文学への新たな角度からの批判をはじめることになる。
しかし、社会主義の方向には行かぬ人たちのうち、直接に大衆社会状況に自我をさらされていた若い作家たちは、外圧によって自我の内部に生ずる不安や分裂をふまえ、それを”新感覚”で鮮烈に表現する技法を工夫することによって、新しい人間表現を試みた。横光利一川端康成らの『文芸時代』(一九二四年)による”新感覚派”の運動であり、これは昭和初年にかけてモダニズムの文学的系譜として展開する。(p.10)
海に生くる人々 (岩波文庫)

海に生くる人々 (岩波文庫)