石川淳 on 三島由紀夫

『文林通言』*1の中で、石川淳三島由紀夫の『太陽と鉄』を評しながら次のように書いている;


「肉体」にかけた三島君の経験はさまざまと見えるが、わたしとして、たつた一つの例外をのぞけば、とくにおどろいてみせる義理がありさうなものはない。といふのは、竹刀をもつてする道場の稽古も、實戰ではない練兵場の訓練も、ホントの経験ではなくて、まあ擬似経験とでもいふべきものだからである。そこには實物としての敵はゐない。また實地に死を踏まへるといふことはない。また観念のほかにも悲劇はありえない。それだから、一應のハナシを聞けば、カラダをうごかすことの不得手なわたしの想像力をもつてしても、およその見當がつく。わからない部分があつても、わたしにとつてどうといふことはない。ところで、たつた一つの例外といふのは、三島君がミコシをかついだことである。これこそ、訓練でも稽古でもなくて、まさにぶつつけ本番の、「肉体」の現場にちがひない。(p.48)*2

(前略)三島君は揺れる太い棒の下にあへぎながら、ふり仰いで、いや、ふり仰ぐほかの姿勢はなく、必至に「青空」を見たといふ。想像を絶して、その現場に於て、直接に見るほかに見やうのないこの「青空」といふものに、わたしは感動した。「青空」といふ表現はことばではあるが、それがミコシかつぎといふ「肉体」経験から發せられたとき、ことばの「腐蝕作用」に依つて、その作用の逆手に依つて、はじめて實物として取りこむことをえた自然の顔のやうにおもふ。あるひは、このことばは「肉体」がこれを食つてその意味を吐き出したものである。それはまた、ミコシの重量の下にほとんど死の危険に於て「肉体」を押しこむといふ儀式に依つて、解放された精神が發見したものにひとしい。もしそこにミコシの神の信仰があれば、解放はすなはち救ひになるだらう。けだし祭の本義である。祭はともかくとして、この「青空」は三島君の「肉体」の戰利品であつた。(後略)(pp.48-49)
これが書かれたのは三島の死の数か月前である。当時、三島に対しては、(例えば)ゴミの如き左翼的批判の類は当然あっただろう。三島はそれらに対して顔を顰めたり鼻を摘んだりはしただろうが、それによって絶望したということはなかっただろう。でも、石川淳の批評は(もし読んだとしたら)かなり応えたのではないか*3
そして、三島の死に際して、石川淳は1970年12月の朝日新聞文芸時評」のスペースをまるまる三島由紀夫追悼に充てている(p.120ff.)。少し引用してみる;

ともに文學について語るかぎりでは、三島君はわたしにとつてへだてなき若い友であつた。へだてがないとは、たがひにことばがよく通じあふことをいふ。ズレはズレのまま、反對は反對のまま、流れることばの意味を取りちがへるおそれなく、ときに意見はわかれても、その場に風がかよつて、心情にこだはることはなかつた。しかるに、「會」*4となると、わたしには縁のない異世界である。「會」の名だけはうはさに聞いてゐても、その實はうかがふすべがない。そのかけちがつたかなたに、三島君の「中心」思想はますます固定にかたむいて行つたのだらう。固定はまだよし。そのきはまるところ、集團の組織をもち練成の形式を取るに至つては、もはやたかが思想とはいへない。すでにして、思想は信念であつて、組織は微小にしても、ともかく現實にはたらきかける力であつた。かの「小さい空虚」は鐵の箱の中に、やがて破裂するために、堅く凍結されてしまつたやうである。そのことがひとびとの耳目を打つて判然としたのは、やうやく今……さう、今となつては、文字をもつて残された最後のしるしは、一片の「檄」あるのみ。「檄」にしるされた文字は、これはことばといふものではない。たださけびを聞くだけである。さけびをあらはすには、類型をもつてすれば間に合ふ。かう信じるとさけんでゐて、かう考へるとは説いてゐない。柔軟な、華麗な、細密な、豪放なすべてのスタイルは、この類型にとつておそらく罪悪である。すくなくとも、じゃまつけである。スタイルがなにか。そもそも、ことばといふ道具を廃棄したと、「檄」は宣言してゐるにひとしい。文學の方法であることばと縁を切つたのだから、作者としての三島君はせうでに紙の上に不在である。ここにはただ信念の炎が燃えあがつてゐる。(後略)(pp.126-127)
石川淳三島由紀夫は(川端康成安部公房と共同で)中国の文化大革命を批判する声明を発表していることを思い出したのだが、私はその声明文をまだ読んだことがないのだった。

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140725/1406262846

*2:原文の正字の幾つかを日式簡体字に改竄している。以下の引用でも同じ。

*3:三島由紀夫と「身体」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071015/1192429762 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101126/1290795234も参照されたい。

*4:すなわち盾の会。