行政の解放

熱湯浴などの日本の右翼分子は、日本は韓国(朝鮮)を「併合」しただけで「植民地」にはしていないと、殖民地支配を否認する。それに対して、常識的なカウンターステイトメントが行われる*1。それは重要なことではあるけれど、そういうことに感けている隙に、もっと重要な問いに答えるチャンスを逸してしまうとしたら、どうだろうか。
ハンナ・アレントは『全体主義の起源』第2部「帝国主義*2において、近代の帝国主義(殖民地主義)を20世紀の全体主義の起源のひとつとして論じている。アレントによれば、殖民地支配の構成要素には「官僚制」が含まれている。但し、ここでいう「官僚制」はマックス・ウェーバーの謂うような明文化された規則や職権による支配という意味での「官僚制」ではなく(Cf. 『支配の諸類型』)、憲法や議会から自由になった行政の暴走ということである。以下では、森分大輔『ハンナ・アーレント』の要約的記述を抜書きしておく。

The Origins of Totalitarianism (Harvest Book, Hb244)

The Origins of Totalitarianism (Harvest Book, Hb244)

支配の諸類型 (経済と社会)

支配の諸類型 (経済と社会)

ハンナ・アーレント (ちくま新書)

ハンナ・アーレント (ちくま新書)


(前略)アーレントによれば最初の帝国主義的行政官だったロード・クローマーは、「条約にも法律にも拘束されない」個人が秘密裡に「高次の目的」への奉仕にかなう決定を下す「官僚制」を植民地支配に導入した。「高次の目的」を達成すべき植民地の問題に本国が巻き込まれないように、また植民地は本国から影響を受けないよう秘密裡に支配されるべきと考えた。
そうした支配は、同じ意識を享有した官僚たちが担った。彼らは、クローマーら帝国主義的行政官の個人的決断に応じて速やかに、そしていかなる変更にも対応可能な組織で対応した。「高次の目的」と秘密主義で結ばれた「無名性への情熱を持つ男たち」は、本国の民主的決定や法律のような鈍重な手続きから解放されていた。(pp.87-88)

「高次の目的」として植民地行政官らに意識されていた内容をアーレントは、ラドヤード・キプリングの文学に見られた「白人の責務」を用いて説明している。野蛮人が「庇護を必要とするほどか弱い」か、「全世界を結ぶ偉大な道を妨害」するかのいずれかにすぎないのに対し、「白人の責務」とは「世界の繁栄への配慮を双肩に担う」ことである、とする。(略)「官僚制」は「世界の繁栄」という「いわゆる歴史の必然」の歩みを加速しようとする「高次の目的」意識に裏づけられていた。
「官僚制」を支えた人間が無名性への情熱を抱いた理由も、歴史の必然を加速させる責務から説明できる。彼らは「このプロセスの法則に服従し、その運動を維持させるための名もなき軍勢の一員となり、自分自身を単なる歯車とみなす」ことを尊んだのである。
映画にもなったアラビアのロレンス*3は、こうした傾向を典型的に示している。『帝国主義』によればアラブの大義に献身する「共謀者として、自己をすら持たずに無名性の中に身を潜める」ロレンスの態度は、「全世界から姿を隠し、同時にあらゆる出来事そのものに完全に身をゆだねている」感覚を尊重している。それはいずれにせよ起きるだろう「歴史の出来事の速度を速める」ことで、「自らを一つの力の具現者」とする感覚を彼に与えたのである。(pp.88-89)

モッブの「寄生虫の楽園」や、ロレンスらの「官僚制」は、それぞれの地の全体主義の特徴を具えた帝国主義的支配を実現した。それらの要素はヨーロッパに逆輸入され、雑種的に混合したことで全体主義成立に影響を及ぼした。モッブの人種主義はヨーロッパ各地の全体主義運動を支えた汎民族運動へ、法律や規範よりも行政官の恣意に従う「官僚制」的統治手法や「高次の目的」への献身の意識は、全体主義運動の指導者原理とそれを支えたイデオロギー的思考思考へと継承された。
アーレントは出自の異なるこれらの要素を整理するために、帝国主義を海外型と大陸型とに区分している。海外型はイギリスを典型とし、ロレンスらに支えられた「官僚制」によって植民地を支配した。その呼称は支配の性格、すなわち海洋に隔てられ秘密主義によって本国から隔離された支配を表している。他方、大陸型は、ドイツのように植民地獲得競争に出遅れ本国周辺に進出したが、距離の近さから植民地支配の悪影響を被った場合である。(後略)(pp.89-90)
これによると、本国が先進的なのではない。先進的なの寧ろ殖民地であり、本国はそれを「輸入」する立場になる。また、英国や仏蘭西で本国の民主制などへのダメージが相対的に軽かったのは偏に殖民地と本国との距離が遠かったおかげである。