デモクラシーの訳語は民主主義でよかったのか。民主はともあれ、イズムではないのに「主義」とされたためか、生活から離れたものになった嫌いはある。人権と生存権を蹂躙されて泣いたり死んだりするのではなく、権力に対して「怒る」ことがデモクラシーの出発点だろう。持続する。あきらめない。★ https://t.co/7LWfqqTuON
— 巖谷國士 (@papi188920) 2020年5月12日
「主義」は-ismの訳。-cracyは支配や統治の意味。aristocracyやbureaucracyを貴族主義とか官僚主義とは普通訳さない。そもそもが具体的なシステムや制度の問題である筈なのに、「主義」と訳されることによって、心構えやイデオロギーの問題に還元されてしまうという感じは否めない。どのような歴史的経緯において、democracyが民主制や民主政ではなく「民主主義」に化けて定着したのか。識者のご教示を俟つしかない。またこれは、例えば国名で「民主主義」を標榜する独裁国家の存在とか、日本だけではなく東亜細亜共通の問題なのだろうけど。
さて、若い頃、「灯台下暗し」を、東京大学とデモクラシーの親戚だとかなり長い間思い込んでいたという黒歴史があるのだった*2。