Nation/ethnic group(メモ)

http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20091002/1254490054


アイヌは「民族」ではないという小林よしのりの発言*1を巡って。
曰く、


まず,小林が名詞として用いている「ethnic」という語は形容詞である。辞書を引けば,「民族の」という意味が出てくると思う。ではnationalやracialといった他の語と比べてどういう意味が付与されているかというと,それは民族や国民を規定する要素の中でも,文化的な同質性(言語,習慣など)を共有する,という意味である。

 たとえば,「日本国民」と「エスニックな日本民族」は違う。前者はアイヌなどの北方民族,沖縄の人びと,小笠原の欧米系島民,帰化した日本国民といった多種多様な人びとを含むが,後者は含まない。

また,民族浄化(ethnic cleansing)という行為も,同じ国籍を持つ人びと(=同じ国民)を,文化的境界によって区切られた「民族」の線に従って追い出そうとする営みだからこそ,nationalではなくethnicという語をつけて呼ばれるのだ。ボスニア人,セルビア人,クロアチア人はどれもnation(narod)と呼ばるるに足る人びとだったが,彼らを浄化しようという試みはethnicの形容詞を冠される。

ちょっと補足を試みる。nationはnature(自然)や仏蘭西語のnaissance(誕生)と語源を共有去有する。現代世界においては、nationとは特定の国家にnationとして法的に登録されている人たちとでも定義するしかないのだろうが、主観的なリアリティとしても、例えば日本人の子どもは日本人としか言い様がない。また、語源的にも、ethnicityに比べて、自然化(或いは生物学化)されやすいといえる。他方、ethnicity、ethnic groupは希臘語のethosを語源としており、取り敢えずは〈習俗を共にする人々〉ということができる。但し、ethnic groupは日常語としての「民族」に完全にフィットしてしまうわけではなく、例えば上海人や広東人は漢族や中国人一般とは区別されたethnic groupとして考察することが可能だし、さらに〈習俗を共にする〉ということを強調すれば、ethnic groupとしての創価学会員、ethnic groupとしてのオタク、ethnic groupとしての熱湯浴という言い方も可能になるのだ。
上に引用した断片は、当事者の具体的な社会関係における実践にフォーカスするのではなく、上から客観的に定義を下そうと試みているという限界を有する。実は、ethnicityというのはそもそもそのような叙述の仕方に馴染まない。というのも、ethnicityは具体的な社会関係において、その都度その都度、半ば戦術的に、半ば無頓着に、使い分けられ、再定義される。例えば、中国人が自らを華人(Chinese)として定義するのか、それとも上海人や広東人として定義するのかは、完全に行為の具体的状況に依存する。私の知人でも、中国人/満洲族/北京人をその都度その都度使い分けていた人がいた。

なお、米国でethnic groupという言葉がよく使われるようになったのは、ヒスパニックの擡頭と関係がある*2

以前、関根政美氏が「民族とエスニック集団はともに文化集団であるが、違いを端的にいうとすれば、民族は、国民国家の主流国民を指し、エスニック集団は国民国家内に取り込まれた文化的少数集団であるといえる」(『多文化主義社会の到来』*3、p.27)と定義していたのを読んで、些か違和感を感じたのだが、今改めて考えると、「主流国民」、例えば米国におけるWASP、中国における漢族は容易に無徴的なnationとしてアイデンティファイされるのに対して、マイノリティはハイフン付きの存在として有徴化されるということなのだろう。所謂欠性対立(privative opposition)の問題*4

多文化主義社会の到来 (朝日選書)

多文化主義社会の到来 (朝日選書)

ところで、小林よしのりはethnicを「部族」と訳しているようだが*5、こうした訳は知らなかった。私の頭の中では、tribeという英語と「部族」という日本語がかなり緊密に結びついているのだが、tribeにしても「部族」にしても、意味が錯綜しており、使い勝手がいい言葉だとは絶対に言えない。ただ、ハンナ・アレントが『全体主義の起源』(第2部「帝国主義」)で論じているtribal nationalismは、上のエントリーで紹介されているハンス・コーンのいうethnic nationalismに近いとはいえる。

The Origins of Totalitarianism (Harvest Book, Hb244)

The Origins of Totalitarianism (Harvest Book, Hb244)

「「人種」の語は古い文献(特に日本語)では「民族」の意で使われる場合も多く,注意が必要」。仏蘭西語の、特に18世紀以前のraceという語の用法では階級という意味。これは近代のレイシズムナショナリズムというよりは、国民国家に対する貴族主義的な反動に起源を持つということと関係があるか。とはいっても、ナショナリズムは上述のように、その語源からも、レイシズムに限りなく接近しうるということはいうまでもないのだが。