東浩紀*1「平成という病」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190516-00566944-bookbang-soci
自らを「平成の批評家であり哲学者であり書き手」であると規定する;
また、「平成」を以下のように定義している;
昭和天皇が崩御したとき、ぼくは一七歳だった。いまは四七歳だ。平成はそのあいだの三〇年を占めている。つまり平成は、ぼくの人生の知的で生産的な期間と完全に一致している。昭和期は仕事はしていない。すべての仕事は平成期に発表された。そしてぼくはいま五〇歳近い年齢であって、まったく新しいことを始めるのはむずかしい。新元号でも仕事はできるだろうが、それは平成期の延長にならざるをえない。つまりはぼくは本質的に、平成の批評家であり哲学者であり書き手なのだ。平成というのは、ぼくにとってそういう時代である。
その事実はぼくを憂鬱にする。というのも、ぼくは平成が好きではないからだ。字面からして好きではなかった。三〇年前、ブラウン管のなかで(当時はまだブラウン管だった)官房長官が「平成」と書かれた色紙を掲げたのを見たとき、なんて間抜けな命名かと感じたのをよく覚えている。
そう、平成はその名のとおり間抜けな時代だった。平成に入る直前の日本は大きな可能性を秘めた国だった。世界第二位の経済大国で、欧米も仰ぎ見る技術大国で、時価総額で世界トップの企業がごろごろとあり、若者も多く、人口もまだ増えていて、二一世紀は日本の時代だと言われ、新首都の建設さえ真剣に検討されていた。にもかかわらず、平成期の日本人は、自分たちになにができてなにができないのか、そもそも自分たちはなにをしたいのか、きちんと考えないままに自尊心だけを膨らませて、空回りを繰り返して自滅した。それを間抜けといわずして、なんと形容しよう。
3つの「平成」;
(前略)平成は祭りの時代だった。平成はすべてを祭りに還元し、祭りさえやっていれば社会は変わると勘違いをし、そして疲弊して自滅した時代だった。
改革の九〇年代(平成ゼロ年代)からリセットの二〇〇〇年代(平成一〇年代)へ、そして祭りの一〇年代(平成二〇年代)へ。平成の三〇年を大きく三つに区切れと言われれば、ぼくはそのようにわけるだろう。平成期の日本人も、けっしてずっと無気力だったわけではなかった。最初はまじめに地味に、「痛みに耐えて」─これは小泉内閣が好んで使った言葉だが─いた。それが途中から自暴自棄なリセット願望にすりかわり、最終的には祭りを繰り返して現実逃避をするぐらいしかできなくなってしまったのである。
「新元号」という言葉で「平成」の次が表されている。4月1日以前に書かれたテクスト。
ただひとつ、一七歳から四七歳という人生のもっとも重要な時期を平成に捧げた世代として、新元号を生きる若い読者たちに伝えたいことがある。かつて日本には大きな可能性があった。同じようにぼくたちの世代にも可能性があった(あたりまえだ)。平成の三〇年は、空虚な祭りを繰り返してその可能性を潰してしまったが、それと共振し、不毛な半生を過ごしたのはけっしてぼくだけでないように思われる。言論人でも政治家でも経営者でもなんでもいいが、ぼくたちの世代には、日本は変えられる、変えるべきだと信じた結果、結局は祭りの神輿になることしかできず、可能性を掴み損ねた人々がたくさんいる。前出の堀江貴文がその典型例だ。彼にはあきらかにもっと大きな可能性があった。
だからぼくは、新元号を生きる新しい世代には、そのような失敗を繰り返してほしくないと思う。この時代のこの国に、過剰な期待を寄せて消尽しないでほしいと思う。ぼくは日本が悪い場所だとは思わない。また、二一世紀のいまが悪い時代だとも思わない。けれども、日本という場所と二一世紀のいまという時代の組み合わせは、なにかとてもうまくいっていないところがあって、新しい本質的なことをしようとすると必ず大きな障害として立ち現れるのだ。少なくとも平成においてはそうだった。
ぼくは平成の批評家だった。それは、平成の病を体現する批評家であることを意味していた。だからぼくは、自分の欲望に向きあわず、自分にはもっと大きなことができるはずだとばかり考えて、空回りを繰り返して四半世紀を過ごしてしまった。
ぼくは新元号では、そんな空回りを止めて、社会をよくすることなど考えず、地味にできることだけをやっていきたいと思う。それはおそらくは、批評家の資格をなくすことを意味している。敗北主義で冷笑主義で現状肯定だと批判されることを意味している。おまえらがそんなヘタレだから日本はこうなったんだと、若い世代からは非難されることも意味している。けれども、もう偽りの希望はうんざりだと、平成という病を生き抜いた四七歳のぼくは心の底から思っている。
*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060121/1137869912 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060124/1138069211 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080131/1201796826 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081031/1225480601 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081106/1225988138 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081120/1227201998 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081213/1229142951 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090107/1231344604 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090107/1231344604 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090130/1233251234 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090607/1244348445 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090608/1244479972 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090911/1252642373 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100315/1268585636 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100906/1283806461 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100912/1284330521 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101209/1291915158 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101213/1292243637 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110506/1304625968 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110626/1309058098 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110831/1314807916 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120504/1336102452 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120508/1336486987 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120529/1338312298 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130528/1369714773 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130630/1372528653 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130712/1373635685 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130912/1379000066 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140924/1411534561 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20151209/1449653787 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161014/1476463918 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170602/1496371973 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170927/1506485685 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180711/1531287520 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180719/1531968626 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180905/1536120552 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/03/13/115444 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/04/01/074224