「タイムスタンプ」など

神田敏晶*1元号問題、いや、すべて西暦に置き換えれば解決できる。むしろ世界的な表記ルールを制定しようではないか?」https://news.yahoo.co.jp/byline/kandatoshiaki/20190305-00117062/


みずほ銀行は2019年元旦から預金通帳の年月日表示を元号から西暦に変えたのか。というか、そもそもこれまで通帳記入に元号を使っていたという方が吃驚。
さて、


日本の歴史を語る上において、天皇陛下と紐付けられてきた元号はとても重要な時代の『記号』である。しかし、日常生活で元号は、昭和はたまに、誕生日などで、使うことがあっても、大正、明治はほぼ使わない。むしろ、江戸時代以前の元号って使うのはほとんど歴史的なイベント事や災害年でしかない。

日本の元号をさかのぼると、飛鳥時代の西暦645年の『大化(たいか)』の皇極(こうぎょく)天皇以来、脈々と日本の元号は続く。しかも、皇極天皇女性天皇でもあった。すでに、過去の元号は、歴史の『大化の改新』のようなイベント事でしか登場しない。しかも、西暦との対応は1573年まではユリウス暦で、1593年からはグレゴリオ暦となる。

もはや日本の『元号』は歴史的な側面での時代を表す『記号』でよいのではないだろうか?『元号一覧』を見てもわかるように、日本の元号を、もはやすべて暗記しておく意味はどこにもない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/元号一覧_(日本)

まあ、そりゃそうだ。

しかし、平成が終わり、新元号が登場しても、基本的には『西暦』を使うのが一番、世界的な標準化となる。誰も困らない。元号を使うから困ることが発生するのだ。まずは、行政から文書をすべて西暦へと率先して、変更すべきなのである。

そして、重要なのは、おなじ西暦でも『文字列型』ではなく、正しくは『日付型』のデータとして格納されることだ。

また、過去の統計データのPDFのような文書もそのうちAR技術などで本文は翻訳ができるが、『H31年(平成)』のようなローカル表記は、日本の文書への参入障壁のようなものになってしまう。開かれた国家としては、早急に、『世界に通じる表記ルール』を制定すべきかと思う。その標準化の仕様にそって、システム開発会社が考えれば、次の元号の時にまた同じ問題に悩まなくてもよい。

すでに、西暦を2桁(現在は、「19年」とか…)で表示している状況も、あと、81年後には問題が必ず発生する。『世界に通じる表記ルール』は、100年ごとに考えるようなルールではなく、二度と変更しないですむ恒常的な表記ルールを考えるべきだと思う。

新聞などの活字ニュースなどが特に「19年」などの表記は多いが、「31年」も交じるケースが多い。せめて行数や文字に制限がないウェブ媒体では、正式な年号で記載するべきだと思う。さらに、昨日とか一昨日とか未明とかの『相対的』なタイムスタンプで記載されるよりも、2019年3月5日というような『絶対的』なタイムスタンプでウエブなどでは表記すべき時代になっているかと思う。

紙の新聞が24時間で消費されるのとちがい、ウェブ媒体のタイムスタンプは何十年も後からも検索される可能性があるからである。

最後は、元号か西暦かではなく、「タイムスタンプ」をどうするのかという問題に行き着いている。たしかに、西暦の下2桁だけの表示では、22世紀になると困る。
ところで、英語圏の新聞記事の書き方における或る習慣に戸惑った(戸惑っている)人も少なくないんじゃないだろうか。直近の過去・未来については、具体的な日付を書かない。また、yesterday、today、tomorrowという表現も使わず、SaturdayとかSundayといった曜日のみを記す。こういう書き方だと、先ずタイムスタンプの日付の曜日を確定して、それから指を折りながら、この日はWednesdayだからSundayは何日だ、と確定しなければならない。これって、かなり面倒臭いことだと思うのだけど、英語のネイティヴの人は面倒臭さを感じないわけだ。