『眠りの航路』を語る

棚部秀行*1「戦争の痛み書き続ける」『毎日新聞』2021年10月10日


台湾の作家、呉明益氏*2へのインタヴュー。


『眠りの航路』は日本を舞台にしている部分が多い作品です。(略)父が使っていた机の引き出しなどにあった遺品のなかで一番多かったのが、神奈川の海軍工廠で少年工をしていた時の写真でした。父は寡黙な人で、生きているときには写真を誰にも見せていなかった。父のその写真を見つけたことが、執筆の大きなきっかけになっています。
中盤まで書き終えたとき、私は父だけではなく、父の世代全体の人たちと対話しているように感じました。いろんな人へのインタビューも行ったので、集団的な記憶が作品になったと感じています。あの苦しみを分かち合えない、あの時代から抜け出せなかった人たちがたくさんいたんだと思います。今回「夢」という方法を使って、この世代が経験した痛みを共有できるかもしれないと考えました。たとえ1万分の1の痛みかもしれませんが、それは小説家としての責任だと感じています。

――若き日の三島由紀夫が作品のなかで顔を見せるのは、小説ならではの醍醐味ですね。


三島と川端康成の往復書簡のなかに、三島が実際に台湾の少年工と会って話をしたという場面が出てきます。もしかしたら、私の父もそこにいたのではなないかと作家としての想像力を膨らませました。成長過程にあった三島が将来の作品のアイデアを話し、自分の運命を感じていたのではないかとも。今回、特に三島の散文をたくさん読んで思ったのは、彼は非常に「矛盾」を抱えた人間ではなかったか、ということでした。


――『眠りの航路』には、その後の呉さんの小説『歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』に登場する台北市の「中華商場」(かつての商業施設)が出てきます。


これらをつなげて書く意図はありませんでした。ただ、家族で暮らした中華商場は特別な場所です。少年時代にたくさんの言葉や背景をもった人々と過ごした経験は、作家として非常に大切だったと思います。国民党が戦後台湾にやってきた歴史、白色テロなどの歴史の傷痕は、実はすべてここにあったことに気付きます。私は今年50歳で、書き続けられる時間もそう長くはなないでしょう。今後一生かけて、自分自身の宇宙、世界を創っていきたい。その土壌として、中華商場は懐の深い場所だと思っています。

「台湾」と「世界」について;

台湾は高い山々がある複雑な島国で、さまざまな人が暮らしています。これ自体が一つの物語になると思っています。私は自分が台湾最後の作家だと仮定して、一冊一冊の小説を力強く書こうと考えています。ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロさんが、今の時代はどの作家も世界性を帯びた作家だと書いています。実際に私も、一つの国にとどまらない世界的な文化の影響を受けてきました。だから私の作品は台湾という基礎の部分はありますが、基本的には国境を越えたものであることが前提になっていると思います。
台湾は国際的、政治的に微妙な立場に置かれています。もし戦争が起こった時に、逃げ出すのか、残るのか、個人で簡単に決められることではありません。一体自分がどんな選択をすればいいのかを考えることは、非常に想像力を豊かにします。私自身は今ある想像力や、このペンで戦争の痛みを書き続けたいと考えています。