林/村上/ジョビン

大井浩一*1「韓国人作家が語る「新鮮な何か」」『毎日新聞』2020年11月22日


少し切り抜き。


1972年生まれの韓国人作家、イム・キョンソンさん*2のエッセー『村上春樹のせいで』(渡辺奈緒子訳、季節社)を読んだ。父親が外交官で「大学に入るまでに韓国と外国を全部で七回も行ったり来たりした」彼女は、「初めて覚えた言葉は日本語だった」。異文化を横断する人生の転変の中で「村上春樹の文章に慰められ、支えられながら生きてきた」という。
村上作品と出会ったのは日本で高校に通っていた87年。韓国の大学に入った89年当時は民主化運動が盛んで、「韓国語もろくに使いこなせなかった大学初年兵の女子学生」は屈折した思いを抱く。やはり大学時代に激しい学生運動を経験した村上さんの小説に、自らが味わってきたものと共通する「気分」や「感情」を読み取っていく。

韓国の民主化運動は87年、全斗煥・軍部政権の退陣を決定づけ、93年には金泳三による初の文民政権が成立する。60年代生まれで80年代の学生運動に参加し、90年代当時に30代だった人々は韓国で「三八六世代」と呼ばれ、村上文学に強く共感したとされる。イムさんは少し下の世代だが、同じ運動の後の喪失感や虚無感の中にいたといえる。
村上春樹の文章がポスト天安門の中国人の琴線に触れたことは確かなのだが。韓国の民主化運動というのは勝利した闘争であり、日本の大学闘争、さらには中国や香港の民主化運動とは、その一点において、経験の質としてかなり異なっているのではないだろうか。

10月25日放送のラジオ番組「村上RADIO」の締めくくりで、村上さんはボサノバを代表する作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビン*3の「僕ら、ブラジル人のつくる音楽はどうして美しいのだろう? その理由はひとつ、幸福よりも哀しみの方が美しいものだからだ」(番組ホームページ)という言葉を引き、こう語った。
「60年代半ば、ブラジルのアーティストたちは時の軍事政権から言論弾圧を受けて、彼も半ば亡命のような形で長いあいだ祖国を離れなければなりませんでした。ソフトで洗練された彼の音楽の中にも、耳を澄ませば、哀しみや郷愁の響きが色濃く聴き取れます。(中略)音楽家やスポーツ選手は政治なんかに首を突っ込まずに、自分の仕事をしっかりとしていればいいんだ、という主張をときどき耳にしますが、自分の仕事が万全にできる環境をこしらえるために、仕事以外の場所で声を上げなくてはならない場合だってあるはずです」
大坂なおみ*4に対する(母国からの!)バッシング。