橋本治on 「おやじ系週刊誌」

橋本治*1「反知性より無知性がこわい」in 『ちくま』(筑摩書房)569、pp.2-3、2018


いちばん最後に読んだ橋本治の文章。
「おやじ系週刊誌」に「「社会に対する関心」というのが、まったくない」のに気づいて、「びっくりしてしまった」という(p.3)。「おやじ系週刊誌」というのは『週刊ポスト』とか『週刊現代』のことだろうか。


読者というのは、かつてのサラリーマンあるいは今もまだサラリーマンの、定年前後の男達なんだろうか。彼等の関心事は第一に金――「こうすれば財産が増やせる」あるいは「こうすれば相続で損をしない」。続いては、健康。「こうすればまだやれる!」のSEX記事。ヘアヌードや袋綴じも健在だが、往年の生色はなく、最も輝いているのが、おやじ達の青春を輝かせたかつてのアイドルの、その昔の水着写真だったりするから唖然とする。唖然としながら思い返して見直すと、現実の社会で起こっていることを伝えるような記事がほとんどない。年取れば視野が狭くなるとは言うけれど、閉じつつある自分のことにしか関心が持てない男達が、ある程度の量確実にいることを知らされて、「それでいいのかよォー」と言いたくなる。(ibid.)

反知性主義というのは、欲求不満に陥ったおやじ達が野放しにする妄想的な世界観だとしか思えないが、欲求不満になる人間は、考えてみりゃ、まだ頭を外に向けてるんだな。自分の目を外に向けなくなったら、もう無知性だ。「考えろ!」と言うデータの山を「うるさい!」と言って撥ねのけていたら、知性というのは育たないんだから。(ibid.)