どうして曾孫は映画化されないのかとか

近藤康太郎「福沢諭吉の実像とは 自由と平等唱え、アジア蔑視発言も」http://book.asahi.com/booknews/update/2013012200004.html


「アジア蔑視発言」に関しては、これまで福沢諭吉のものだとされてきた「アジア蔑視」というか鷹派的な言説は福沢自身のものではなかったという考証もある筈だが、それは何故か無視されている。ところで太平洋戦争中の昭和17年(1942)に発表された丸山眞男の「福沢諭吉儒教批判」(『福沢諭吉の哲学』所収)では、


(前略)攘夷主義乃至排外主義に対しては終始一貫抗争した諭吉も、対朝鮮・支那外交問題に関しては是また終始一貫、最強硬の積極論者であった。この二つの表面的には矛盾する態度を諭吉の心裡に於て一つの統一的な志向にまで結び付けていたものが外ならぬ彼の反儒教意識であったということは注意されていい。諭吉が我国に於ける攘夷排外の気風を儒教思想の属性と見たことは既に述べたところであるが、こうした見解は元来、日本儒教の母国としての支那・朝鮮の歴史的現実から得られたものであった。(後略)(p.30)
と言われている。丸山がこれを書いた頃は、鷹派的な言説が福沢諭吉自身のものであるということが自明なものとして信じられていたわけだが、仮に諭吉が「アジア蔑視」だということにしておいても、その根柢には(〈文明開化〉以前というかアンシャン・レジームを象徴する)「儒教批判」があるわけで、記事でいうところの「自由・平等な合理精神の持ち主」、つまり〈啓蒙〉の旗手としての側面と「アジア蔑視」の側面は表裏一体だったともいえるわけだ。なので、「アジア蔑視」を批判するとしたら、諭吉の〈啓蒙〉或いは(丸山も共鳴・共有していただろう)彼の「儒教批判」の妥当性も問い直さなければならないということになる。
福沢諭吉の哲学―他六篇 (岩波文庫)

福沢諭吉の哲学―他六篇 (岩波文庫)

それから、上の記事が触れない福沢諭吉のアクチュアリティはその民主政治論であろう。坂野潤治『明治デモクラシー』*1福沢諭吉などの「イギリスの議会内閣制の特徴と利点を整理し、それをモデルとして日本に民主主義を移植しようとする」流れと中江兆民などの「フランスのルソーの影響を受けた直接民主主義的な主張」(p.4)との対立を軸に「明治デモクラシー」思想(運動)を描こうというものといえるだろう。これを巡っては、松永昌三『福沢諭吉中江兆民』もマークしておく。
明治デモクラシー (岩波新書)

明治デモクラシー (岩波新書)

福沢諭吉と中江兆民 (中公新書)

福沢諭吉と中江兆民 (中公新書)

さて、「福沢は、NHK大河ドラマの主人公にはならない」という。また諭吉を主役にした「映像化作は極端に少ない」という。でも、柴田恭兵主演の映画『福沢諭吉』は知らなかったぞ。そもそも福沢諭吉に限らず、学者は映像化しにくいといえる。本居宣長も荻生狙徠もドラマや映画の主役には(管見の限り)なっていない。映像として観衆を惹き付けるためには、通俗的な意味では、アクション(ちゃんばら)や色事(濡れ場)が必要だということもあるのではないか。
それよりも、気になったのは、福沢諭吉の曾孫の一人であるカー・レーサーの福沢幸雄*2のこと。彼はエキゾティックなイケメンであったし*3、その最期も悲劇的だったし、同時代のセレブたちとの華やかな交遊もあった。映画化するにはうってつけの素材なのに、何故か映画化されていない。名古屋の自動車会社に怯えているのだろうか。
福沢幸雄で検索すると、


http://anarchist.seesaa.net/article/133726965.html
http://anarchist.seesaa.net/article/133815516.html


が引っかかる。このblog作者*4のことを「穴空スト」と殆ど常にdiってきたのだが、上に挙げた2つのエントリーはまともであり、重要な資料の引用を含んでいる。福沢幸雄が亡くなったのは俺が小学校低学年の頃だったが、ずっと小川知子小川ローザ*5を取り違えて記憶していたということに気づいた。当時福沢幸雄のガールフレンドだったのが小川知子で、小川ローザは福沢の同僚のレーサー、川合稔と結婚したのだが、結婚して半年も経たないうちに川合稔もサーキットで事故死している。