「ひとから聞いた話」

佐々木孝次『母親と日本人』*1所収の「家族と人間形成――漱石の『道草』の場合」(pp.150-247)の冒頭;


夏目漱石は、『硝子戸の中』で、ひとから聞いた話として、自分は生まれてまもなく四谷の古道具屋に里子に出され、毎晩その古道具屋のがらくたといっしょに小さな籠のなかに入れられ、大通りの夜店にさらされていたと書いている。
ある晩、姉のひとりが何かのついでにそこを通りかかり、あまり可哀相なので、そのまま家に連れ帰ったという。かれは、その夜どうしても寝つけずに、夜どおし泣き続けていたが、姉のほうも父親からひどく叱られたそうである。(p.150)
これは「漱石の伝記を語る人たちがほとんど例外なく取りあげるエピソード」だということだが(ibid.)、私が気になったのは「ひとから聞いた話として」ということ。(当たり前かも知れないが)私は自分のはじまりについて直接知ることができないということ。他者の言葉の伝聞という仕方でしか知ることができないということ。
母親と日本人

母親と日本人

硝子戸の中 (新潮文庫)

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